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連載

皇室の風 連載23

富美子と美智子
岩井 克己

2010年7月号

 明仁皇太子は三歳で両親から引き離されて育った。十二歳で疎開先の日光から帰京したが、その後も赤坂離宮、学習院中・高等科の小金井分校、そして渋谷区の常磐松(現常陸宮邸)、目白の学習院寄宿舎と「独り住まい」が続いた。
 生涯の伴侶に選んだのは、館林、軽井沢での疎開を経験した同世代の正田美智子だった。━皇太子が何げなく発した「家庭を持たずには死ねない」との一言が、美智子に生涯を共にする決心を後押ししたとも伝えられる。初めての「平民」からの皇太子妃だった。
 国民の慶祝ムードの陰に、正田家には様々の苦労もあったとされる。筆者も皇室担当となって美智子妃の母富美子の話をいつか聞きたいと思っていたが、富美子は既に病気がちで正田家のガードも固く、かなわなかった。病状が深刻になったと聞き、一九八八年五月十四日、富美子の実弟の元東京銀行監査役副島呉郎の三鷹市の自宅を訪ねた。以下は副島の話である。
 

 一昨年暮れか昨年初め、私の家内がアルツハイマー病で寝たきりとなり、見舞いに来てくれたのが姉と会った最後です。姉は・・・