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連載

不運の名選手たち 連載 7

村田 英次郎(プロボクシング)名王者に四たび挑んだ「善戦マン」
中村 計

2010年7月号

 憤りを通り越していた。手にした札束は、三十万あったか、なかったか。命を削った代償が、だ。
 一九八三年秋。四度目の世界挑戦を終え、ジムへファイトマネーを受け取りにいったときのことだ。
「当時の会長がシブイ人でね……。初挑戦のときが二百万、二度目が三百万、三度目も二百万ちょっと。最後がいちばんひどかった。体を張っている以上、もらうものをもらわないと情熱も冷めてしまう」
 村田英次郎は、やるせなさを隠し切れずに、二十七年前、二十七歳の若さで引退した理由をそう語る。切れ長で、涼しげな目元は、今も現役時代と変わらない。
 村田がボクシングを始めたのは京都・住吉小六年生のときだ。引っ込み思案だった村田を心配し、父親が近所のジムに入れたのだ。間もなくボクシングの虜になり、中学を卒業すると「顔がぼこぼこになっても世界王者になる」と覚悟し、上京。金子ジムの門を叩く。
「雑誌を開いたら、たまたま〈金子ジム、住食保証、練習生求む〉というのが目に入って。あの頃は関西のジム出身の世界チャンピオンはまだいなかった。だからとにかく東京・・・