小沢一郎に復活はあるのか
参院選後の「消費税政局」が唯一のチャンス
2010年7月号
参院選公示日の六月二十四日。小沢一郎は山梨県身延町で選挙戦初日を迎えた。テレビカメラが小沢を追い、メディア各社の小沢番記者が随行した。幹事長辞任後、「一兵卒」宣言をしたはずの小沢一郎がなお「影の主役」であることを強く印象付けた。小沢がなぜ山梨から第一歩を刻んだのか、それもなぜ身延なのか。
小沢が「オヤジ」と呼んだ元自民党副総裁金丸信が中学時代を送ったゆかりの地が身延町だった。金丸は自らの青春を振り返る時、しばしば柔道に打ち込んだ身延中学時代の思い出話に花を咲かせた。このため身延には今なお金丸の後援会「久親会」も健在だ。小沢はその足で南アルプス市にある金丸の墓前で頭を垂れた。
金丸は刑事被告人として生涯を閉じたが、あれほど金丸の寵愛を受けながら金丸の意に背く行動を取り続けた小沢。小沢の身延入りにはそんな贖罪意識と共に金丸票の取り込みという思惑が混在した可能性がある。
そして山梨入りの最大の理由に、小沢戦略の遂行にとって欠かせない民主党参院議員会長の輿石東の存在があった。小沢が二〇〇七年の参院選で代表として圧勝した直後のこと、菅直人、鳩山由紀夫と・・・