むかし女ありけり 連載118
覚醒
福本 邦雄
2010年6月号
己が身の一生は今にして夢のごとし我生涯をかへりみるかな 今井邦子
アララギで島木赤彦のもと、順調に歌人としての実力、地歩を固めてきた邦子であるが、家庭においては前途多難、夫との仲は冷えこむ一方であった。当時、白樺派の人道主義運動が盛り上がりをみせ、文芸雑誌『白樺』には毎号のようにロダンやゴッホ、ゴーガンなどの作品写真が掲載されていた。初めてまとまった形で紹介された海外の芸術作品に、文学青年、芸術家の卵たちはたちまち夢中になった。邦子もその例外ではなく、ロダンの「考える人」の小型の写真版を手に入れ額装し、わが家の壁にかけて楽しんでいた。しかし、新聞社から帰ってきた夫は、玄関口でそれを見るなり苦々しげに「なんだ、こんな裸んぼのどこがいいんだ。こんなものよしてくれ」と言って、さっさと外してしまった。
邦子の新しい芸術への憧憬はこうして無残に押しつぶされてしまう。小さなことのようだが、こうしたことが日々重なっていくと、心は次第に冷え、不満が蓄積していく。この一例だけみてもわかるように、芸術家肌の邦子と、現実主義者の夫は水と油であったのだ。
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アララギで島木赤彦のもと、順調に歌人としての実力、地歩を固めてきた邦子であるが、家庭においては前途多難、夫との仲は冷えこむ一方であった。当時、白樺派の人道主義運動が盛り上がりをみせ、文芸雑誌『白樺』には毎号のようにロダンやゴッホ、ゴーガンなどの作品写真が掲載されていた。初めてまとまった形で紹介された海外の芸術作品に、文学青年、芸術家の卵たちはたちまち夢中になった。邦子もその例外ではなく、ロダンの「考える人」の小型の写真版を手に入れ額装し、わが家の壁にかけて楽しんでいた。しかし、新聞社から帰ってきた夫は、玄関口でそれを見るなり苦々しげに「なんだ、こんな裸んぼのどこがいいんだ。こんなものよしてくれ」と言って、さっさと外してしまった。
邦子の新しい芸術への憧憬はこうして無残に押しつぶされてしまう。小さなことのようだが、こうしたことが日々重なっていくと、心は次第に冷え、不満が蓄積していく。この一例だけみてもわかるように、芸術家肌の邦子と、現実主義者の夫は水と油であったのだ。
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