皇室の風 連載 21
日光儀仗隊長の述懐
岩井 克己
2010年5月号
国文学者岩佐美代子の父で東京帝大法学部教授穂積重遠は一九四五年八月、新設の東宮職の東宮大夫として、皇太子(現天皇)の疎開先である奥日光・湯元の南間ホテルに着任した。敗戦の混乱の中で皇太子を守り抜くためだった。軍の側で警護にあたっていたのが近衛師団日光儀仗隊長田中義人少佐だ。
九六年七月、天皇は皇后、紀宮と日光を訪れ、田母沢御用邸など疎開先を五十一年ぶりに再訪した。筆者が田中に会って当時の話を聞いたのはその直前だ。元軍人と思えぬ温厚な老紳士で、往事を昨日の事のように語ってくれた。以下は田中の話である。
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昭和二十年、急に赤柴八重蔵師団長から「嫁をもらえ」と言われ、急きょ三月に九段会館で式を挙げました。その晩には大空襲です。連隊衛兵所に妻を預けて宮内省に駆けつけ、その後も皇居や靖国神社の防火に駆け回る日々でした。五月、新任の森赳師団長から呼ばれて軍服で参ったところ、いきなり「田中、お前は絶対に死んではならない」と言われました。士官学校以来、死ぬ覚悟ばかり考えていたのですから、面食らいました。
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九六年七月、天皇は皇后、紀宮と日光を訪れ、田母沢御用邸など疎開先を五十一年ぶりに再訪した。筆者が田中に会って当時の話を聞いたのはその直前だ。元軍人と思えぬ温厚な老紳士で、往事を昨日の事のように語ってくれた。以下は田中の話である。
昭和二十年、急に赤柴八重蔵師団長から「嫁をもらえ」と言われ、急きょ三月に九段会館で式を挙げました。その晩には大空襲です。連隊衛兵所に妻を預けて宮内省に駆けつけ、その後も皇居や靖国神社の防火に駆け回る日々でした。五月、新任の森赳師団長から呼ばれて軍服で参ったところ、いきなり「田中、お前は絶対に死んではならない」と言われました。士官学校以来、死ぬ覚悟ばかり考えていたのですから、面食らいました。
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