本に遇う 連載 124
立場鮮明な生き方
河谷 史夫
2010年4月号
むのたけじさんの『たいまつ十六年』がこの二月、岩波現代文庫の一冊として刊行された。
戦後ジャーナリズム史に燦然と輝く書である。屁みたいな刊行物の氾濫してやまない世にあって、こういう大事な本が、版元をかえながらも出され続けていることに、今なお出版人に残る「なけなしの志」というものを覚える。
『たいまつ十六年』は一九六三年、企画通信社というところから出た。著者も本屋も知られていなかったが、瞬く間にこの本は論壇を席巻した。「こんな新聞記者がいたのか」との驚きを伴っていた。
むのさんは、一九一五年、秋田の生まれ。東京外国語学校を出て報知新聞社に入り、朝日新聞社に転じた。四五年八月十五日の敗戦に際し、記者として戦争協力の記事を書いたことの責任を取ると言って社を辞めた。
戦前から戦中にかけて、体制迎合の紙面を作ってきたことに、内心忸怩たる思いの新聞人はいた。国防服を着て「自由主義者狩り」にうつつをぬかしていたような連中はともかく、真実といわぬまでも、戦況の事実を読者へ伝えられないもどかしさに身もだえせんばかりの記者たちはいたのである。
日・・・
戦後ジャーナリズム史に燦然と輝く書である。屁みたいな刊行物の氾濫してやまない世にあって、こういう大事な本が、版元をかえながらも出され続けていることに、今なお出版人に残る「なけなしの志」というものを覚える。
『たいまつ十六年』は一九六三年、企画通信社というところから出た。著者も本屋も知られていなかったが、瞬く間にこの本は論壇を席巻した。「こんな新聞記者がいたのか」との驚きを伴っていた。
むのさんは、一九一五年、秋田の生まれ。東京外国語学校を出て報知新聞社に入り、朝日新聞社に転じた。四五年八月十五日の敗戦に際し、記者として戦争協力の記事を書いたことの責任を取ると言って社を辞めた。
戦前から戦中にかけて、体制迎合の紙面を作ってきたことに、内心忸怩たる思いの新聞人はいた。国防服を着て「自由主義者狩り」にうつつをぬかしていたような連中はともかく、真実といわぬまでも、戦況の事実を読者へ伝えられないもどかしさに身もだえせんばかりの記者たちはいたのである。
日・・・