「全方位外交」に賭ける公明党
学会創立八十周年に向けなり振り構わず
2010年4月号
三月に入り一時期、公明党常任顧問、市川雄一の姿が消えた。
二〇〇三年に政界引退した市川は一月八日の党中央幹事会で、常任顧問に返り咲いた。民主党幹事長、小沢一郎とは細川政権時代に「一・一ライン」と呼ばれたパイプを持つことから、この起用は当然、「民主党シフト」だと見られた。
毎週木曜日に開かれる中央幹事会では、党首脳が居並ぶひな壇が市川の指定席だ。昨年の衆院選で「戦犯」となった前代表太田昭宏は一般幹部と同列に並ぶ。市川と太田の対比は、公明党の民主党シフトを象徴する光景だった。
事実、これ以降、公明党による民主党への接近は誰の目にも明らかになった。二月二十四日には公明党代表山口那津男が鳩山由紀夫と首相官邸で会談。介護施設待機者解消などを盛り込んだ「新・介護公明ビジョン」を提出した。政治とカネをめぐる与野党協議機関設置を提案し、鳩山、小沢の疑惑から目を逸らさせたのも公明党だ。
最大の目的は「矢野封じ」
その市川が三月四日から中央幹事会に出席しなくなった。ある党幹部・・・