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連載

不運の名選手たち 連載3

藤沢 隆(ノルディックスキー・ジャンプ)「完璧」以上を求めたジャンパー 
中村 計

2010年3月号

 口調が一段と熱を帯びた。
「やめたその日にわかった。パーフェクトは一つしかないって」
 変わらないのは身長、体重だけではない。三十八年経った今も、藤沢隆の眼光の鋭さ、闘争心は、全く衰えていないように映った。
 一九七二年二月六日、札幌オリンピック四日目。のちに「日の丸飛行隊」と呼ばれることになった日本スキージャンプ陣は、七〇メートル級ジャンプで、エース笠谷幸生が金メダルを獲得したのを始め、一位から三位までを独占。それまで冬季五輪では、スキー男子回転における猪谷千春の銀メダルが唯一のメダルだった日本に、一気に三個ものメダルをもたらした。
 当時、競技にエントリーしていたのは四人だ。つまり、このとき一人だけ、スポットライトを浴び損ねていた、もう一人の日の丸飛行隊がいた。それが藤沢だった。
 本番三日前、北海道新聞は「ジャンプの神様」と呼ばれたノルウェーのビリゲル・ルードのこんなコメントを掲載している。
〈笠谷のジャンプが一番いいし、藤沢もうまい〉
 カサヤ、フジサワ。ルードが認めていたように、当時、世界で名前が通用した・・・