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社会・文化

「絶滅」間近のアルゼンチンタンゴ

ピアソラの嘆きが聞こえる

2010年3月号

 昭和三〇年代に彗星のごとくあらわれた藤沢嵐子によってブームの頂点を迎えたタンゴは、いま終焉を迎えようとしている。この記事は、もはや愛ある叱咤激励などではない。タンゴ世界の住人たちの悪気すらない怠慢と安直なビジネスにひとつの音楽文化が殺される。そんな取り返しのつかない現実を、諦めの境地で伝えるだけだ。
 言うまでもなくタンゴという音楽(あるいはダンス)は十九世紀末にアルゼンチンの首都ブエノスアイレス(以下BS)とウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。イタリアやスペインからの移民のメロディー感覚と、彼ら白人の奴隷として強制労働させられていた黒人たちのアフリカ的なリズム感覚の融合であった。
 初期の音楽的性質こそ売春宿で客と娼婦が腰を合わせて踊る「淫らな」ダンスの伴奏音楽であったが(演奏禁止令が出た程だったという)、一九二〇年代あたりから「キチンと編曲を書き、練習し、演奏しよう。BSの誇りとなり得る様式を作ろう」というタンゴ史最初の革命が起こり、急速に発展した。日本のタンゴファンの間にもその名を轟かせるフランシスコ・カナロやファン・ダリエンソといった巨星たちが活・・・