追想 バテレンの世紀 連載47
安土の修道院
渡辺 京二
2010年2月号
信長が琵琶湖畔に安土城を築いて本拠としたのは天正四(一五七六)年のことである。だが、狩野永徳の豪壮な襖絵で飾られた五層七階の天守閣を中心とする城郭が完成したのは天正八年に至ってで、そのひと月あと、信長は一般民衆に城内の参看を許した。オルガンティーノが安土城の威容に接したのはこのときが初めてである。
ともに参看したジョアン・フランシスコ司祭はその壮麗を次のように述べている。「城は七層あって、城内の部屋が余りにも多いので、信長も最近迷ったとのことだ。床は天井板のように清潔で磨かれており、扉と窓はことごとく塗って光沢を出しているので、鏡のように己れの姿を映して見ることができる。外部の壁はいとも白く、最上階のみはことごとく金色と青色で塗られ、日光を反射して驚くべき輝きを作り出している。瓦はきわめて巧みに造られているので、外から見る者には薔薇か花に金を塗ったもののように思われる」。
オルガンティーノは安土城下の山腹にひろがる武家屋敷地の一画に修道院を建てたいと思った。それが叶うなら、イエズス会の威信がいっそう高まることになるし、武将間に教えをひろめるにも好都合である。{・・・
ともに参看したジョアン・フランシスコ司祭はその壮麗を次のように述べている。「城は七層あって、城内の部屋が余りにも多いので、信長も最近迷ったとのことだ。床は天井板のように清潔で磨かれており、扉と窓はことごとく塗って光沢を出しているので、鏡のように己れの姿を映して見ることができる。外部の壁はいとも白く、最上階のみはことごとく金色と青色で塗られ、日光を反射して驚くべき輝きを作り出している。瓦はきわめて巧みに造られているので、外から見る者には薔薇か花に金を塗ったもののように思われる」。
オルガンティーノは安土城下の山腹にひろがる武家屋敷地の一画に修道院を建てたいと思った。それが叶うなら、イエズス会の威信がいっそう高まることになるし、武将間に教えをひろめるにも好都合である。{・・・