「除け者」経団連はどこへ行く
米倉は「最後の会長」か
2010年2月号
すったもんだの挙げ句、次期日本経団連会長に住友化学会長の米倉弘昌が内定した。読売新聞が元日付の一面で、東芝会長の西田厚聰の有力説をにぎにぎしく報じていたから驚きをもって受け止めた向きも多かったのではあるまいか。住友グループの代表企業とはいえ、住化の規模は東芝の半分。日本を代表する業界でもない。まして本人が財界の論客、超有名人というわけでもない。むしろ朴訥、いま風に表現すれば訥弁である。ではなぜ、経団連会長の御手洗冨士夫はこうした選択をせざるをえなかったのか。それを追うと経団連の抱える苦悩が浮き彫りになる。
政権への神通力が霧散した
一月五日午後二時。東京・内幸町の帝国ホテルの宴会場「孔雀の間」には、二千人を超える政財官界の関係者であふれ返っていた。経団連、経済同友会、日本商工会議所の共催の賀詞交歓会である。「ここに来れば日本を代表する重要人物の大勢に挨拶できるから重宝する」(大企業幹部)と、政財官界の幹部にはたいそう評判の良い会合でもある。確かに、今回も現役政治家の重鎮三十人超、霞が関の事務・・・