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連載

追想 バテレンの世紀 連載46

高槻城の開城
渡辺 京二

2010年1月号

 ヴァリニャーノは日本渡来以前、カブラルの要請に応えて、二六名に及ぶ司祭・修道士を日本へ送りこんでいた。その際彼は、彼らが最良の教師のもとで日本語に習熟するように措置されたいとカブラルに伝えていた。
 ところが、日本に着いてみて彼は、前記の司祭・修道士たちがまったく日本語教育を受けていないことを知った。そのことをなじると、カブラルは一笑していう。
「貴師が日本語を学習によって容易に学び得ると思うのは、日本語を知らぬからである。才能ある者でも日本語で告白を聴けるようになるには少なくとも六年、説教しうるには一五年以上かかる。異教徒に対する本来の説教など全然考えられない」
 ヴァリニャーノは第一歩からカブラルの抵抗にぶつかったのである。しかし、日本人の修道士や同宿と話すのにも通訳がいるといった現状を放置しておいていいはずがない。日本で最初になされねばならぬのは、ヨーロッパ人宣教師が日本語を学習する条件をととのえることだ。彼はこののち日本語文典と日葡辞典の作成につとめ、その成果はやがてロドリゲス・ツヅの業績となって現われる。
 だが、カブラルとの対立はも・・・