《日本のサンクチュアリ》農水省農産局
「令和の米騒動」諸悪の根源
2025年4月号
1998年晩秋、真っ黒に日焼けした初老の男が四国八十八ヶ所の大窪寺(香川県さぬき市)に参拝し、2カ月にわたる歩き遍路の順打ちを結願した。農林水産省事務次官を退官したばかりの高橋政行氏(故人)だ。「時間ができたら慰霊したい」―高橋氏は食糧庁長官だった2年前から誓っていた。当時の部下、紀内祥伯食糧庁総務部長(肩書は当時)の自死を防げなかったからだ。
紀内部長は東京大学法学部から68年に農水省に入り、秘書課長、食糧庁企画課長などを歴任し、将来の事務次官として期待されていたが、96年11月30日に中央線の特急列車に身を投げた。直前に電話で別れを告げられた高橋長官は、直ちに捜索願を出したが間に合わなかった。農水官僚の多くは「彼は政治に殺された」(事務次官OB)と受け止めた。
当時の米の過剰在庫は400万㌧近くに達し、減反の強化が課題だったが、97年度の減反面積は前年据え置きとなった。さらに米需給調整特別対策の名目で総額100億円の助成が決まり、自民党農林議員の圧力による「つかみ金」と批判された。高橋長官は96年12月2日の紀内部長の葬儀の弔辞で「君が、その死をもって、ひ・・・
紀内部長は東京大学法学部から68年に農水省に入り、秘書課長、食糧庁企画課長などを歴任し、将来の事務次官として期待されていたが、96年11月30日に中央線の特急列車に身を投げた。直前に電話で別れを告げられた高橋長官は、直ちに捜索願を出したが間に合わなかった。農水官僚の多くは「彼は政治に殺された」(事務次官OB)と受け止めた。
当時の米の過剰在庫は400万㌧近くに達し、減反の強化が課題だったが、97年度の減反面積は前年据え置きとなった。さらに米需給調整特別対策の名目で総額100億円の助成が決まり、自民党農林議員の圧力による「つかみ金」と批判された。高橋長官は96年12月2日の紀内部長の葬儀の弔辞で「君が、その死をもって、ひ・・・