をんな千一夜 第97話
石原一子 初の女性重役の嘆き
石井 妙子
2025年4月号
経済同友会初の女性会員であり、「働く女性のトップランナー」と称された石原一子が昨年末、100歳で逝去した。訃報に接し、かつてインタビューした際の言葉が自然と思い出された。
「一生働きたいし、出産や育児も経験したい。私はそんな当たり前の希望を持っていただけよ」
一子は大正13(1924)年に中国の大連で生まれた。
「故郷は満洲、私にとって日本は異国だった」。一子の生涯を貫いていた価値観は、確かに満洲で培われたものだったのだろう。
父は満鉄社員。大連から満洲の北部ハルビンへ移住したのは昭和9年。ロシア人も多く住む国際都市で16歳まで育つ。
「当時の満洲は活気に満ちていた。古い伝統や因習に縛られていなかったから。軍国化する日本に嫌気がさして満洲に来た先生方が多くて教育もリベラルだった。何よりも女性たちが生き生きとしていて、たくましい。ヨーロッパ的な文化が色濃くて女性でも能力があれば認められる社会だった」
昭和16年に哈爾浜高等女学校を卒業した一子は、東京女子大学に進学するため、初めて日本へ向かった。17歳だった。
・・・
「一生働きたいし、出産や育児も経験したい。私はそんな当たり前の希望を持っていただけよ」
一子は大正13(1924)年に中国の大連で生まれた。
「故郷は満洲、私にとって日本は異国だった」。一子の生涯を貫いていた価値観は、確かに満洲で培われたものだったのだろう。
父は満鉄社員。大連から満洲の北部ハルビンへ移住したのは昭和9年。ロシア人も多く住む国際都市で16歳まで育つ。
「当時の満洲は活気に満ちていた。古い伝統や因習に縛られていなかったから。軍国化する日本に嫌気がさして満洲に来た先生方が多くて教育もリベラルだった。何よりも女性たちが生き生きとしていて、たくましい。ヨーロッパ的な文化が色濃くて女性でも能力があれば認められる社会だった」
昭和16年に哈爾浜高等女学校を卒業した一子は、東京女子大学に進学するため、初めて日本へ向かった。17歳だった。
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