東京電力「資金繰り破綻」が目前
原発事故「反省消失」の野放図経営
2025年3月号
訃報から四カ月が経った今も、東京電力のOBの間では悲憤が囁かれる。
「線香一本、花一輪手向けられない。無念の極みだ……」
昨年十月二十一日、福島第一原発事故当時の東電会長・勝俣恒久氏が亡くなった。八十四歳。かつて“カミソリ勝俣”の異名をとった最高実力者、その姿が世間から消えて久しく、時折、事故の責任をめぐる裁判に赴く痩身を映像メディアが報じる程度だった。
株主代表訴訟では、自身をはじめ旧経営陣四人に実に十三兆円の賠償を命じる一審判決を受け、また業務上過失致死傷罪容疑で強制起訴された勝俣氏は、刑事被告人でもあった。上告審までもつれた刑事訴訟はその死によって公訴棄却となったが、元部下二人の審理はなお続いている。故人の意思なのだろう、遺族は弔問を「裁判が終わるまで固くお断り致します」とし、一切受け付けないという。あるOBが振り返る。
「あのとき、会長が主張した“三条ただし書き”が通っていたら、東電はどうなっていたか」
“三条ただし書き”と・・・
「線香一本、花一輪手向けられない。無念の極みだ……」
昨年十月二十一日、福島第一原発事故当時の東電会長・勝俣恒久氏が亡くなった。八十四歳。かつて“カミソリ勝俣”の異名をとった最高実力者、その姿が世間から消えて久しく、時折、事故の責任をめぐる裁判に赴く痩身を映像メディアが報じる程度だった。
株主代表訴訟では、自身をはじめ旧経営陣四人に実に十三兆円の賠償を命じる一審判決を受け、また業務上過失致死傷罪容疑で強制起訴された勝俣氏は、刑事被告人でもあった。上告審までもつれた刑事訴訟はその死によって公訴棄却となったが、元部下二人の審理はなお続いている。故人の意思なのだろう、遺族は弔問を「裁判が終わるまで固くお断り致します」とし、一切受け付けないという。あるOBが振り返る。
「あのとき、会長が主張した“三条ただし書き”が通っていたら、東電はどうなっていたか」
“三条ただし書き”と・・・