本に遇う 第303話
齋藤愼爾さんの後姿
河谷史夫
2025年3月号
木芽月といわれる二月、私事ながら八十路に分け入った。
「年を取るとはどういうことか」と聞かれて「若い私がシャフツベリー通りを歩いていると」と答えたのは、英国の作家ジョン・プリーストリーである。「突然、劇場のなかへ連れ込まれ、白髪やしわをつけられて、舞台に押し出されたような気持ちだ。外見は年寄りだが、中身や考え方は若いときと、ちっとも変っていない」。
全くの話、悟りを開きたくとも得られない。雑念だらけだ。何かと言えばすぐ癇癪を起し、余計なことを口にして、軽薄なしくじりを繰り返す。今も昔も変わらない。変わったのは、知己が一人、また一人と欠けていくことだ。先日も九州に住む高校時代で唯一の友人の訃を奥さんから受けた。
近年葬儀は「近親者で済ませました」になった。思えば訃報に接して駆けつけたのは齋藤愼爾さんのときが最後であった。二〇二三年三月二十八日、俳人にして山本周五郎、美空ひばり、瀬戸内寂聴を書いた評伝作家、そして深夜叢書社に拠って四百冊を超える本を作った天成の出版人は、独り暮らしの賃貸マンションで人生にさよならしていた。八十三歳だった。ことし三回忌である・・・
「年を取るとはどういうことか」と聞かれて「若い私がシャフツベリー通りを歩いていると」と答えたのは、英国の作家ジョン・プリーストリーである。「突然、劇場のなかへ連れ込まれ、白髪やしわをつけられて、舞台に押し出されたような気持ちだ。外見は年寄りだが、中身や考え方は若いときと、ちっとも変っていない」。
全くの話、悟りを開きたくとも得られない。雑念だらけだ。何かと言えばすぐ癇癪を起し、余計なことを口にして、軽薄なしくじりを繰り返す。今も昔も変わらない。変わったのは、知己が一人、また一人と欠けていくことだ。先日も九州に住む高校時代で唯一の友人の訃を奥さんから受けた。
近年葬儀は「近親者で済ませました」になった。思えば訃報に接して駆けつけたのは齋藤愼爾さんのときが最後であった。二〇二三年三月二十八日、俳人にして山本周五郎、美空ひばり、瀬戸内寂聴を書いた評伝作家、そして深夜叢書社に拠って四百冊を超える本を作った天成の出版人は、独り暮らしの賃貸マンションで人生にさよならしていた。八十三歳だった。ことし三回忌である・・・