皇室の風 第195話
清やかに老い給へり
岩井克己
2024年12月号
「百合君さま」と呼ばれていた、その人の姿を初めて見たのは、昭和61年(1986)3月8日、東京・麻布の愛育病院の玄関ホールからだった。2月から皇室担当を命じられたばかりで、右も左もわからないまま走り回っていた。この日の夜になって同病院をのぞきに行ったのは、三笠宮夫妻の三男・高円宮憲仁親王の久子妃が第1子(承子女王)を出産したので、その取材の一環のつもりだった。しかし、夜の病院内は人の気配もなく、がらんと静まり返っていた。
空しく引き揚げにかかろうとしたとき、人の呼び交わす声がホールに響き、2階の渡り廊下に職員らを伴った三笠宮百合子妃が現れて急ぎ足で移動していくのが見えた。家族や病院関係者らを差配しながら別室へと急ぐ真剣な足取りと、出産した嫁と新生児の母子の体調をひたむきに気遣う様子は1人の祖母そのものだった。
これを皮切りに、長年にわたって高松宮、昭和天皇、香淳皇后ら数多くの皇室の人々の「生老病死」や冠婚葬祭を取材・報道することになったのだが、最初に現場に赴いて目撃した「百合君さま」の姿は「皇族も一般人も家族を思う『心』に変わりはない」と実感し、自らの胸底に刻・・・
空しく引き揚げにかかろうとしたとき、人の呼び交わす声がホールに響き、2階の渡り廊下に職員らを伴った三笠宮百合子妃が現れて急ぎ足で移動していくのが見えた。家族や病院関係者らを差配しながら別室へと急ぐ真剣な足取りと、出産した嫁と新生児の母子の体調をひたむきに気遣う様子は1人の祖母そのものだった。
これを皮切りに、長年にわたって高松宮、昭和天皇、香淳皇后ら数多くの皇室の人々の「生老病死」や冠婚葬祭を取材・報道することになったのだが、最初に現場に赴いて目撃した「百合君さま」の姿は「皇族も一般人も家族を思う『心』に変わりはない」と実感し、自らの胸底に刻・・・