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連載

をんな千一夜 第90話

奥村五百子 悪用された「お国のために」
石井 妙子

2024年9月号

 今年の8月は、オリンピックに押されて戦争を取り上げる番組も記事も、めっぽう少なかった。
 女性の戦争責任を問うという戦後の風潮の中でスケープゴートにされた女性として、奥村五百子に触れたい。
 愛国婦人会の創設者として、戦前は評伝や劇、映画のみならず、教科書にも取り上げられたが、戦後は一転して軍国主義の旗振り役をしたとされ、女性史でも触れられることが少ない。しかし、五百子が亡くなったのは明治40(1907)年。太平洋戦争の責任まで負わされるのは、酷な話ではないだろうか。
 五百子は幕末の弘化2(1845)年、佐賀県唐津に生まれた。唐津といえば、豊臣秀吉が朝鮮出兵の前線基地として築いた名護屋城も近く、朝鮮半島と地理的にも歴史的にも深い関係があった。
 五百子の父は、唐津にある高徳寺の十二世住職、奥村了寛。公家二条治孝の孫にあたり、唐津の寺に養子で入った。当時の高徳寺は寺格は高くとも廃寺同前。了寛は唐津藩士の娘を娶り、夫婦で寺を立て直していく。五百子はこの夫婦の長女として生まれた。
 譜代大名の唐津藩は佐幕派だったが、父は二条家の血を引くこ・・・