金融の世紀
第21回【ダイナースクラブの日本進出とJCBの誕生】
黒木 亮
2024年9月号
1950年に創設された世界初の大規模汎用クレジットカード、ダイナースクラブは、1953年になると、フランチャイズ方式で、英国、カナダ、キューバ、メキシコに進出し、国際的なクレジットカードになった。
独自のハウスカードを発行していた航空業界は一致団結してダイナースを締め出そうとしたが、3人の創設者の一人で富豪のアルフレッド・ブルーミングデールが、個人的人脈を使って、ウエスタン航空(本社・ロサンゼルス、後にデルタ航空と合併)と契約し、突破口を開いた。
ワシントン州のレストラン組合が、売上げの一部を加盟店手数料として取られることや、顧客が他の加盟店に流れるのを嫌い、組合メンバーの店舗がダイナースを扱うことに反対したときは、ブルーミングデールは、シアトルのダウンタウンに自分のレストランを開店して対抗した。ダイナースカードを所有するビジネスマンたちがそこに集まり出したため、他のレストランもすぐにカードを取り扱うようになり、反対運動は瓦解した。
第二次大戦後の個人所得増にともなう米国の消費ブームに後押しされ、ダイナースの会員数は、1959年に百万人に達し、同年・・・
独自のハウスカードを発行していた航空業界は一致団結してダイナースを締め出そうとしたが、3人の創設者の一人で富豪のアルフレッド・ブルーミングデールが、個人的人脈を使って、ウエスタン航空(本社・ロサンゼルス、後にデルタ航空と合併)と契約し、突破口を開いた。
ワシントン州のレストラン組合が、売上げの一部を加盟店手数料として取られることや、顧客が他の加盟店に流れるのを嫌い、組合メンバーの店舗がダイナースを扱うことに反対したときは、ブルーミングデールは、シアトルのダウンタウンに自分のレストランを開店して対抗した。ダイナースカードを所有するビジネスマンたちがそこに集まり出したため、他のレストランもすぐにカードを取り扱うようになり、反対運動は瓦解した。
第二次大戦後の個人所得増にともなう米国の消費ブームに後押しされ、ダイナースの会員数は、1959年に百万人に達し、同年・・・