現代史の言霊 第77話
9月の主権-スロベニア「憲法改正」(1989年)
伊熊 幹雄
2024年9月号
武器による決着は望まなかった
ミラン・クーチャン(スロベニア初代大統領)
「旧ユーゴスラビア」という言葉に馴染みのある読者は多いだろう。
ユーゴスラビア(南のスラブ人の国という意味)という国家の原型は、1918年に第一次世界大戦が終わり、オーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)が崩壊して、「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」が誕生したことにある。
その名前の通り、これがユーゴの三大民族だった。それぞれの人口は数10万~数100万。当時の弱肉強食の欧州政治では、三民族がそれぞれ独立すれば、周辺列強の餌食になる。そこで一緒に「南スラブ人の国家」を作ったのである。
セルビア人とクロアチア人は、使用言語が「セルボ=クロアチア語」と総称されたほど共通点が多かった。ただし、セルビア人は東方正教会、クロアチア人はカトリックと、両民族の違いもはっきりしていた。
増幅した民族間の憎悪
三つの民族の中で一番小・・・
ミラン・クーチャン(スロベニア初代大統領)
「旧ユーゴスラビア」という言葉に馴染みのある読者は多いだろう。
ユーゴスラビア(南のスラブ人の国という意味)という国家の原型は、1918年に第一次世界大戦が終わり、オーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国)が崩壊して、「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」が誕生したことにある。
その名前の通り、これがユーゴの三大民族だった。それぞれの人口は数10万~数100万。当時の弱肉強食の欧州政治では、三民族がそれぞれ独立すれば、周辺列強の餌食になる。そこで一緒に「南スラブ人の国家」を作ったのである。
セルビア人とクロアチア人は、使用言語が「セルボ=クロアチア語」と総称されたほど共通点が多かった。ただし、セルビア人は東方正教会、クロアチア人はカトリックと、両民族の違いもはっきりしていた。
増幅した民族間の憎悪
三つの民族の中で一番小・・・