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連載

皇室の風 第191話

石灰壇の終焉
岩井克己

2024年8月号

「昭ちゃん、違う違う、こっちこっち!」
 平成の初め、宮殿での仕事に向かう天皇を先導する侍従職事務主管補佐に、複雑な宮殿廊下の曲がり角で後ろから声がかかった。声の主はほかならぬ明仁新天皇(現上皇)だった。ミスしそうだったベテラン補佐は、職人気質の明るい人柄と「昭治」の名から、周囲から「昭ちゃん」と呼ばれていた。巨大な祭儀空間で複雑な所作の重儀を執り行う主役の「上御一人」。現場に身を置くこと、祭儀の作法の継承にも努めた「平成流」スタート時の「君臣」の息の合った一幕だった。
 即位十年の節目に菊葉文化協会が平成の大嘗宮の精巧な模型を作成し一般公開したとき、下見した同天皇は複雑な建物配置と曲がりくねった回廊に強い関心を示し、「私が歩いた動線はこの経路だったかしら」と真剣な表情で確かめていた。
 令和元年の大嘗祭では、帛御袍を着用して長時間に及ぶ神饌親供を終えた徳仁新天皇が、巾子に纓を結んだ御幘冠を大嘗宮の低い出入口上部に引っ掛けてしまい、思わず手で押さえた場面がカメラにとらえられていたのを見て、筆者も一瞬肝を冷やし、改めて「祭祀王・天皇」の祭儀の作法・所作の難しさ、手抜きできない大変さを見た思いだった。
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