をんな千一夜 第88話
鈴木 よね 「日本一商社」の女主人
石井 妙子
2024年7月号
女性が経営者となる企業も増えたが、人材を使いこなして急成長を遂げた、という話はいまだ聞こえてこない。
大正時代に三井物産を一時はしのぎ、日本一の総合商社となった鈴木商店。スエズ運河を行き来する船荷の半分は鈴木の関与する商品とまで言われていたが、その頂点に立っていたのは「お家さん」と呼ばれた、鈴木よねである。
よねは嘉永5(1852)年に姫路市米田の漆塗り職人の家に生まれた。同業である塗師の家に嫁いだものの、よねの実家の不祥事を理由に離縁される。次に嫁いだ先が神戸の砂糖商人、鈴木岩治郎。丁稚奉公の末、独立して店を構えた三年後の明治10(1877)年、初婚でよねを娶った。この岩治郎は気性が激しく、奉公人にも、よねにも厳しかったが、やがて嫁いで九年後、土佐出身の若者が丁稚として入店してくる。それが金子直吉だった。
金子は、慶応2(1866)年、土佐の吾川郡名野川村(現在の高知県吾川郡仁淀川町名野川)の生まれ。極貧で学校にも通えず、紙屑拾いに明け暮れたが、そうした中でも奉公先の質店で質草となった書物を読み、独学で文字を学んだ。「偉い商人になりたい」と志を立・・・
大正時代に三井物産を一時はしのぎ、日本一の総合商社となった鈴木商店。スエズ運河を行き来する船荷の半分は鈴木の関与する商品とまで言われていたが、その頂点に立っていたのは「お家さん」と呼ばれた、鈴木よねである。
よねは嘉永5(1852)年に姫路市米田の漆塗り職人の家に生まれた。同業である塗師の家に嫁いだものの、よねの実家の不祥事を理由に離縁される。次に嫁いだ先が神戸の砂糖商人、鈴木岩治郎。丁稚奉公の末、独立して店を構えた三年後の明治10(1877)年、初婚でよねを娶った。この岩治郎は気性が激しく、奉公人にも、よねにも厳しかったが、やがて嫁いで九年後、土佐出身の若者が丁稚として入店してくる。それが金子直吉だった。
金子は、慶応2(1866)年、土佐の吾川郡名野川村(現在の高知県吾川郡仁淀川町名野川)の生まれ。極貧で学校にも通えず、紙屑拾いに明け暮れたが、そうした中でも奉公先の質店で質草となった書物を読み、独学で文字を学んだ。「偉い商人になりたい」と志を立・・・