三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月間総合情報誌

連載

大往生考 第55話

希望と現実の狭間で
佐野 海那斗

2024年7月号

 大脳が機能せず、思考や体を動かすことができなくなる、いわゆる「植物状態」に、もしも伴侶がなったなら―。この難題に、知人女性が直面している。
 彼女は60代後半だ。食品企業の役員であった夫と二人暮らし。夫婦仲はよく、年に数回一緒に旅行に出かけていた。二人とも一人っ子で、子供はいない。唯一の身内といえる夫が植物状態になったのだから、事態は深刻だ。
 始まりは今年の一月だった。微熱が出て、倦怠感を自覚したため、夫は最寄りの開業医を受診した。新型コロナ、インフルエンザが流行していた頃で、抗原検査を受けたが、いずれも陰性だった。感冒と診断され、風邪薬を処方された。
 当時、夫は重要な取引を担当しており、仕事を休む訳にはいかなかった。在宅勤務と出勤を併用して、病を乗り切ろうとした。
 病状が急変したのは、発症から数日後のこと。夕方、仕事から戻ると、「気持ち悪いので、このまま休む」と夕食もとらずに寝室に引き下がった。その数時間後、家事を終えて就寝しようとしていた妻に「頭が割れるように痛い」と訴えた。夫の尋常ならざる様子に驚いた妻は、私の携帯電話にかけてきて、・・・