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連載

皇室の風 第189話

「安全装置」としての上皇
岩井克己

2024年6月号

閑院宮家から傍系即位した光格天皇が自らの流祖であるとの意識からか、平成の天皇(現上皇)は光格の筆蹟を自らの筆の鑑としていたという。
 高齢化の時代に象徴天皇の務めをつつがなく継承させるとの出処進退ではあった。しかし、202年ぶりの譲位の意向を固めるに至った際に、父祖光格の先例、そして皇統の危機という背景も念頭になかっただろうか。
 光格は、東山-中御門-桜町-桃園-後桜町-後桃園の直系皇統が途絶えたため、安永8年(1779)の後桃園天皇崩御を受けて養子として践祚し、寛政6年(1794)に後桃園の皇女欣子内親王を中宮とした。東山天皇の皇孫で閑院宮第2代典仁親王の男子で、しかも第6王子という「傍系相続」ゆえの皇女との婚姻だったとみられる。
 寛政12年(1800)、温仁親王が生まれたが、生後2カ月で夭折してしまった。傍系の光格の後見役のような存在だった後桜町上皇が文化10年(1813)に崩御すると、光格は典侍・勧修寺婧子所生の恵仁親王(仁孝天皇)に譲位して上皇となる。なお中宮欣子は文化13年(1816)に悦仁親王を生むが、やはり文政4年(1821)に5歳で夭折・・・