本に遇う 第293話
北村小夜さんのこと
河谷 史夫
2024年5月号
北村小夜という名前を知ったのは2022年の秋であった。信州は上田で器を作る小澤楽邦が出している季刊個人誌『夢の庭』で「野垂れ死にしそこなって生きています」を読んだのである。
「歩きながらとか何かをしながら死ぬのは、大勢の死ぬのを待つ家族に囲まれて末期の水を飲まされながら死ぬよりかっこいいなあ」と、幼いころから小夜さんは思っていたそうである。女のすることを一通り終えて一人暮らしを始めた時に「野垂れ死に願望」が生じた。以来「知り合いは少ないに限ります。名刺は持たない。初対面の人には自分から名乗らない」と見事な覚悟なのである。
21年12月、脊柱管狭窄症の小夜さんはシルバーカーを押して外出。道で突然「揺れ」を感じた。動けない。言葉が出ない。呂律が回らない。救急車が来て運ばれる。脳梗塞だった。リハビリが始まったが「不自由な足がなまってしまいそう」と医師に談判して7日で退院。自宅に帰り自分で炊いたご飯を食べたら「生き返った」と言っている。驚いた。
もっと驚いたのは、小夜さんが1925年生まれということである。かくも自主、自律、自活の精神にあふれた人がいるのか。・・・
「歩きながらとか何かをしながら死ぬのは、大勢の死ぬのを待つ家族に囲まれて末期の水を飲まされながら死ぬよりかっこいいなあ」と、幼いころから小夜さんは思っていたそうである。女のすることを一通り終えて一人暮らしを始めた時に「野垂れ死に願望」が生じた。以来「知り合いは少ないに限ります。名刺は持たない。初対面の人には自分から名乗らない」と見事な覚悟なのである。
21年12月、脊柱管狭窄症の小夜さんはシルバーカーを押して外出。道で突然「揺れ」を感じた。動けない。言葉が出ない。呂律が回らない。救急車が来て運ばれる。脳梗塞だった。リハビリが始まったが「不自由な足がなまってしまいそう」と医師に談判して7日で退院。自宅に帰り自分で炊いたご飯を食べたら「生き返った」と言っている。驚いた。
もっと驚いたのは、小夜さんが1925年生まれということである。かくも自主、自律、自活の精神にあふれた人がいるのか。・・・