三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月間総合情報誌

連載

現代史の言霊  第73話

天安門事件㊥ 戒厳令布告 (1989年)
伊熊 幹雄

2024年5月号

私たちは来るのが遅すぎた
趙紫陽(中国共産党総書記)

 北京の天安門広場。私たちはまだ1989年5月のところにいる。先月号では鄧小平率いる中国共産党指導部が広場に集う学生たちを、共産党機関紙『人民日報』が一面の社説で、「反動である」と決めつけたところまで紹介した。
 だが若者たちやその支援者たちは、この社説の後も、天安門広場に集まり続けた。数万人規模で連日、「民主化」要求の声を上げ続けたのである。
 共産党指導部は揺れた。
「反動社説」は、趙紫陽総書記が北朝鮮を訪問し、北京を留守にしたタイミングで掲載された。帰国した趙は、自分の留守を狙って保守派が巻き返しを図ったものと確信し、反撃を企てた。

鄧小平の「戯言」

 ところが、趙が鄧に直談判を求めても、なかなか実現しなかった。それどころか、鄧は娘の鄧毛毛を、趙の秘書、李勇のところに送って、自身の本心を伝えた。
「(鄧小平が)民主諸党派の参加を拡大することについ・・・