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連載

皇室の風 第186話

年中行事障子
岩井克己

2024年3月号

京都御所・清涼殿東南角にある石灰壇から東側の弘庇の下へ出て、「鳴板」を踏んで南へと回り込む辺り、公卿らが伺候する「殿上間」との出入り口に「年中行事障子」と呼ばれる衝立が立てられている。四方拝から始まる年間の宮中の儀式・行事や神事、仏事、服装の定めなど三百項目近くが表と裏にぎっしり書き込まれている。
「最初の関白」とも呼ばれる実力者だった太政大臣藤原基経が殿上の諸臣に行事日程を知らせ、宮中儀式体系に関心を深めさせようと、光孝天皇の仁和元(885)年に調進したのが始まり。その2年後には光孝が病気で崩御し宇多天皇が即位する。「障子」調進のわずか2年後。しかし障子は戦乱や御所焼失など激動の歴史のなかで何度も改訂、新調などを繰り返しながらも代々受け継がれてきた。現在の御所弘庇下に飾られているものの原本は寛政2(1790)年の御所再建時に筆道宗家の持明院宗時が書き、昭和9(1934)年に子孫の持明院基揚が原本保存のため模写したものという。
 御所の建造物、間取り、調度や石灰壇などはもちろんだが、天皇や公卿らが儀礼と祈りに励む王朝の歴史の地層の如き厚み、そしてその文化的「小宇宙」・・・