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連載

をんな千一夜 第83話

杉本 鉞子 米国に日本を知らしめた一冊
石井 妙子

2024年2月号

 大谷翔平選手の活躍に日本中が沸いている。アメリカでこれほど注目された日本人がいたか、と。そんなニュースを聞きながら彼女の名を思い出した。杉本鉞子―。著書『武士の娘』は1925年の発表当時、アメリカで『グレート・ギャツビー』に並ぶベストセラーになり、彼女は最も名を知られた日本人となった。
 鉞子は文字通り「武士の娘」として明治五年に新潟県の長岡に生まれた。時代は既に明治となっていたが、長岡藩の筆頭家老であった稲垣家の娘として、教育される。「鉞のように強く」という父の願いが、その名には込められていた。
 戊辰戦争が起こった際、父の平助は長岡藩を守るには官軍に恭順するべき、将軍徳川慶喜が大政奉還した以上、官軍と戦っては徳川家にも不忠になる、と説いた。何よりも戦で農民が苦しむことを避けたかったのだ。ところが、藩政改革派の河井継之助らが、徹底抗戦を主張。藩主も彼ら主戦派に靡き、長岡は激戦地となった。生き残った平助は、東京に向かうと官軍の大久保利通に寛大な処置をと頼んだ。結果、長岡藩は会津藩のように移封を命じられずに済むのだが、主戦派を支持した藩主の牧野忠訓は維新後も平助には・・・