《 世界のキーパーソン》
蕭美琴(次期台湾副総統)
2024年2月号
東西冷戦さなかの1960年代の米国。ハンサムな台湾の宣教師が米国人女性と恋に落ちた。宣教師は蕭清芬、女性はペギー・クーリー。2人は台湾で挙式し、妻は「蕭邱碧玉」となった。その後も夫婦は海外で布教活動を続けた。
当時の2人を紹介した「台湾教会広報」によると、宣教師は「とても親切な無私の人」だった。夫人は料理が得意で、手製クッキーは評判だった。夫人は「台湾人より台湾的な女性」と評された。元気な良妻賢母というわけだ。
2人が神戸市で暮らしていた時の71年に生まれたのが、蕭美琴である。聡明、活発な子供で、両親と同様に語学の才能があった。
一家はその後も米国、欧州、アジアを転々とする生活を続けた。蕭は英語、台湾語、中国語のネイティブ・スピーカーになった。日本語、スペイン語も話す。大学は米国のオーバリン大、コロンビア大に進んだ。
米国と台湾の学校ではそれぞれ「人種問題」を経験した。80~90年代は、全米のキャンパスで人種をめぐって、激しい闘争が起きた。白人でも黒人でもない蕭は、双方から差別を受けたという。
「どちらの仲間にも入れてもらえず・・・
当時の2人を紹介した「台湾教会広報」によると、宣教師は「とても親切な無私の人」だった。夫人は料理が得意で、手製クッキーは評判だった。夫人は「台湾人より台湾的な女性」と評された。元気な良妻賢母というわけだ。
2人が神戸市で暮らしていた時の71年に生まれたのが、蕭美琴である。聡明、活発な子供で、両親と同様に語学の才能があった。
一家はその後も米国、欧州、アジアを転々とする生活を続けた。蕭は英語、台湾語、中国語のネイティブ・スピーカーになった。日本語、スペイン語も話す。大学は米国のオーバリン大、コロンビア大に進んだ。
米国と台湾の学校ではそれぞれ「人種問題」を経験した。80~90年代は、全米のキャンパスで人種をめぐって、激しい闘争が起きた。白人でも黒人でもない蕭は、双方から差別を受けたという。
「どちらの仲間にも入れてもらえず・・・