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連載

皇室の風 第178話

宋礼継受の位牌祭祀
岩井 克己

2023年7月号

 泉涌寺が歴代天皇の葬儀を営むようになる画期となったのは、応安七(一三七四)年の後光厳天皇(上皇)の火葬を営んだことだった。
 足利氏に擁され南北朝の騒乱に巻き込まれ、何度も京を追われるなど波乱の生涯だった後光厳は、遺言により崩御とともに泉涌寺と安楽光院の長老僧を戒師、剃り手に落飾し、四条天皇葬送の歴史のあった泉涌寺に葬送された。以後、後円融・後小松・称光と北朝系歴代の簡素な火葬儀の常例となり、近世まで基本形となった。その火葬儀次第を、泉涌寺心照殿の元研究員石野浩司の論文などを頼りに再現してみよう。
 後光厳院の葬車は、泉涌寺の大門を入り法堂の基壇に寄せて、屏風を立てて遮蔽した中で柩を宝輿に積み替える。屏風を撤して数々の供え物を並べ、泉涌寺と安楽光院の両長老が焼香礼拝した。故人の位牌が立てられている。法要の趣旨や仏の功徳を述べる「宣疏」が終わると、宝輿を三井寺の力者(八瀬童子ではなく)が担いで観堂中庭にしつらえられた仮屋の火葬場へ向かう。仮屋は檜皮葺で四柱。中に六角の地炉が築かれ、周囲を荒垣で囲み、四面の鳥居門に発心・修行・菩提・涅槃と金字の懸額がかかる。
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