「安倍派」は“消滅”の宿命
《政界スキャン》
2023年7月号
安倍晋三元首相は宴席の座持ちが巧みだった。まだ当選一、二回の若手議員の頃、好んで披露していた持ちネタは知る人ぞ知る。父・晋太郎元外相が、政権を目前にしながら病に倒れた死の床の情景だ。場所は東京・本郷の順天堂大学病院。当時の安倍派四天王が顔をそろえていた。
―いまわの際の父の耳元で、ベッドの両脇から三塚博元蔵相と加藤六月元農水相が辺りはばからず交互に叫んでいたよ。「会長、死ぬ前に一言、派閥の後釜は私に譲ると言って下さい」「いや、この私ですよね」って。塩川正十郎元財務相は椅子に腰掛けてうなだれるばかり。森喜朗元首相はせわしなく部屋を出たり入ったりしながら、携帯電話で誰かに「間もなくです」って逐一報告していた。相手は竹下登元首相だったんだろうな。あの醜悪な一部始終を、秘書官だった自分は部屋の隅でじっと見ていたんだ……。
劇的だが、作り話である。自身病後の塩川氏が病院に駆けつけたのは訃報を聞いてからだったし、当時の携帯電話は三キロもある肩掛け式か一キロ近いトランシーバー状の物しかなかった。それでもこの小話が、派閥の後継を巡る四天王の立ち振る・・・
―いまわの際の父の耳元で、ベッドの両脇から三塚博元蔵相と加藤六月元農水相が辺りはばからず交互に叫んでいたよ。「会長、死ぬ前に一言、派閥の後釜は私に譲ると言って下さい」「いや、この私ですよね」って。塩川正十郎元財務相は椅子に腰掛けてうなだれるばかり。森喜朗元首相はせわしなく部屋を出たり入ったりしながら、携帯電話で誰かに「間もなくです」って逐一報告していた。相手は竹下登元首相だったんだろうな。あの醜悪な一部始終を、秘書官だった自分は部屋の隅でじっと見ていたんだ……。
劇的だが、作り話である。自身病後の塩川氏が病院に駆けつけたのは訃報を聞いてからだったし、当時の携帯電話は三キロもある肩掛け式か一キロ近いトランシーバー状の物しかなかった。それでもこの小話が、派閥の後継を巡る四天王の立ち振る・・・