JR東海はなぜ事故が多い
「葛西の呪縛」と安全軽視の社風
2023年1月号公開
「葛西時代の歪みが露呈した」
経済誌の鉄道担当記者はこう警鐘を鳴らした。また、某紙経済部記者は懸念を漏らす。
「“脱葛西”を模索している中で、緩みが出たのではないか」
「葛西」とは言わずもがな、長らく東海旅客鉄道(JR東海)の「ドン」であった葛西敬之氏のこと。十二月十八日に発生した東海道新幹線の停電事故が浮き彫りにした同社の問題点について、いずれの記者も二〇二二年五月に亡くなったドンに原因を求めた。すでに鬼籍に入ったにもかかわらず、その影響は色濃く残る。これが、ドル箱である新幹線の安全運行にも影を落としかねないというから看過できない。
非を認めない企業体質
師走の日曜日の昼間に発生した停電事故は深刻なものだった。十八日の十二時五十八分、豊橋駅~名古屋駅の上下線で停電が発生し新幹線の運行を停止。その後、上り線の運転を再開させたがすぐに停まり、運転見合わせ区間は徐々に拡大していった。最終的に再開されたのは十七時で、各地の駅やホームには客がごったがえし大混乱。その日のうちにダイヤは正常化せず、駅に停まった列車で一夜を過ごす羽目になった乗客もいた。
JR東海の対応は憤慨ものである。メディアの取材には「原因を調査中」と答えるだけで、公式サイト上にリリースを出したのは二日後になってから。「同じ事故はないので単純比較はできないが、JR東や西の場合、調査中でも速やかにリリースは出す」(鉄道業界関係者)という。しかも、JR東海は二日も経ってから出したのに、詳細は不明のままだった。
パンタグラフと接触して列車に電気を送る電線を「トロリ線」と呼ぶ。これは、並行する形で上を通る「ちょう架線」という電線から「ハンガ」と呼ばれるワイヤーで吊られている。今回の事故は、ハンガのひとつが破断した後に、横を走る別のトロリ線に接触したことでショート(短絡)。その衝撃で元のちょう架線が切れてしまい停電が起きたという。
しかし肝心のハンガが破断した理由はいまだに「調査中」なのだ。事故のわずか六日前に点検して「異常なし」とされていたものが切れたのだから、極めて重大なトラブルだ。
「不都合な情報はできるだけ出さないようにするのがJR東海の文化だ」
前出業界関係者はこう呆れる。このことは同社が社運をかけて取り組むリニア中央新幹線の工事で顕著だ。品川駅からの大深度トンネル掘削工事が二二年三月に停止していたことについては報道が先行し、実はいまだに公式サイトでリリースを出していない。住民向けの説明会も同年十二月になってからようやく着手している。
一九年十月に発生したリニア山梨実験線内での火災事故では、社員やメーカー作業員が負傷したにもかかわらず、JR東海として事実を公表しなかった。当時、「メディアからの取材に対しても情報を出し渋った」(前出関係者)というから、もはや隠蔽は体質だ。
「非を認めないという社内風土は葛西体制下で醸成された」
前出経済誌記者はこう指摘する。典型的な「舌禍」が二〇〇〇年九月にあった。記録的な大雨で各地に被害をもたらした「東海豪雨」が発生。JR東海は新幹線の運行を続けた結果、多くの列車が線路上で停止し、五万人もの乗客が閉じ込められたまま夜を明かした。会見で責任について問われた葛西社長(当時)はしゃあしゃあと「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」と発言し、猛批判を浴びたのだ。
杜撰すぎる「安全確認」
葛西氏がJR東の元社長の松田昌士氏、JR西のトップだった井手正敬氏とともに「国鉄改革三人組」と呼ばれたことは有名だ。三人とも、各社の絶対的リーダーとして君臨したが、一八年に返上するまで二十八年もの長きにわたって代表権を持ち続けたのは葛西氏だけである。
同氏の次の社長に就いた松本正之氏は「ポスト葛西」になると目されたが、すぐに実権のない副会長職に追いやられた挙げ句、NHKの会長として放り出された。後を継いだ山田佳臣氏は、リニア事業の採算性に疑問を投げかけるなど「反葛西」と目される動きも見せたが、最終的には大人しくなってしまう。その後は現会長の柘植康英氏が就き、現在の金子慎社長に繋がるが、「いずれも葛西チルドレン」(前出関係者)だ。
一部には「柘植会長が路線転換を図っている」(前出経済部記者)といった声もある。また「二二年の人事は金子社長が六年目も続投し独自色を出した」(前出関係者)との指摘も出ている。しかし、内情を知るある関係者は後継社長候補を社外に放逐し「サプライズ」とされた二二年の人事についても、「かなり病気が進行していた葛西氏が了承していた」と打ち明ける。つまり最後まで「脱葛西」はできなかったのだ。
話を今回の停電事故に戻す。JR東海は、最初に列車がストップして、わずか二十四分後に「安全が確認された」として上り線の運転を再開した。しかしその後になって現地確認で、ちょう架線の断線が判明し再度運行を停止したという。運転を再開させた当初の「安全確認」があまりに杜撰だ。今回のケースではちょう架線が切れて垂れ下がっており、状態によっては上り線を通過する列車に接触する危険性さえあった。「運行を優先し、安全を軽視した」という謗りは免れない。
今回の原因は、直前の点検作業での初歩的な見落としの可能性がある。東海道新幹線では一〇年一月にも架線が切れる事故があった。この時は、車両のパンタグラフのボルトをつけ忘れるというお粗末な理由だった。かねて「JR東海は東や西と比較して技術力が低い」(前出業界関係者)との指摘がある。その一因となっているのが現場への過度なプレッシャーだ。
JR東海は懲罰的処遇によって現場を締めつけることで有名。社員研修からして「軍隊染みている」(前出経済部記者)といい、これもまた「葛西イズム」の一端だ。JR東や西では国鉄時代の流れを汲む左派色の強い労組が残っていたが、東海では早々に切り崩されて従順なJR連合系労働組合員が大半を占める。過激労組員が少ないのは良いことかもしれないが、それが社員締めつけの結果であれば印象は変わってくる。
今回の事故では、列車に積まれた非常用バッテリーが車内空調などには使えず、乗客が寒さに震える一幕もあった。大量輸送を担う交通インフラとしては大きな欠陥だ。「ドル箱」である東海道新幹線は、開業から六十年近くが経過した。盛土などの老朽化も懸念されており、安全対策は喫緊の課題。そのためにも現経営陣には、染み付いた社内風土を変える責任がある。しかし彼らの背には最大の「負の遺産」であるリニアが重荷としてのしかかる。葛西氏の「呪縛」というトンネルの出口は見えない。
経済誌の鉄道担当記者はこう警鐘を鳴らした。また、某紙経済部記者は懸念を漏らす。
「“脱葛西”を模索している中で、緩みが出たのではないか」
「葛西」とは言わずもがな、長らく東海旅客鉄道(JR東海)の「ドン」であった葛西敬之氏のこと。十二月十八日に発生した東海道新幹線の停電事故が浮き彫りにした同社の問題点について、いずれの記者も二〇二二年五月に亡くなったドンに原因を求めた。すでに鬼籍に入ったにもかかわらず、その影響は色濃く残る。これが、ドル箱である新幹線の安全運行にも影を落としかねないというから看過できない。
非を認めない企業体質
師走の日曜日の昼間に発生した停電事故は深刻なものだった。十八日の十二時五十八分、豊橋駅~名古屋駅の上下線で停電が発生し新幹線の運行を停止。その後、上り線の運転を再開させたがすぐに停まり、運転見合わせ区間は徐々に拡大していった。最終的に再開されたのは十七時で、各地の駅やホームには客がごったがえし大混乱。その日のうちにダイヤは正常化せず、駅に停まった列車で一夜を過ごす羽目になった乗客もいた。
JR東海の対応は憤慨ものである。メディアの取材には「原因を調査中」と答えるだけで、公式サイト上にリリースを出したのは二日後になってから。「同じ事故はないので単純比較はできないが、JR東や西の場合、調査中でも速やかにリリースは出す」(鉄道業界関係者)という。しかも、JR東海は二日も経ってから出したのに、詳細は不明のままだった。
パンタグラフと接触して列車に電気を送る電線を「トロリ線」と呼ぶ。これは、並行する形で上を通る「ちょう架線」という電線から「ハンガ」と呼ばれるワイヤーで吊られている。今回の事故は、ハンガのひとつが破断した後に、横を走る別のトロリ線に接触したことでショート(短絡)。その衝撃で元のちょう架線が切れてしまい停電が起きたという。
しかし肝心のハンガが破断した理由はいまだに「調査中」なのだ。事故のわずか六日前に点検して「異常なし」とされていたものが切れたのだから、極めて重大なトラブルだ。
「不都合な情報はできるだけ出さないようにするのがJR東海の文化だ」
前出業界関係者はこう呆れる。このことは同社が社運をかけて取り組むリニア中央新幹線の工事で顕著だ。品川駅からの大深度トンネル掘削工事が二二年三月に停止していたことについては報道が先行し、実はいまだに公式サイトでリリースを出していない。住民向けの説明会も同年十二月になってからようやく着手している。
一九年十月に発生したリニア山梨実験線内での火災事故では、社員やメーカー作業員が負傷したにもかかわらず、JR東海として事実を公表しなかった。当時、「メディアからの取材に対しても情報を出し渋った」(前出関係者)というから、もはや隠蔽は体質だ。
「非を認めないという社内風土は葛西体制下で醸成された」
前出経済誌記者はこう指摘する。典型的な「舌禍」が二〇〇〇年九月にあった。記録的な大雨で各地に被害をもたらした「東海豪雨」が発生。JR東海は新幹線の運行を続けた結果、多くの列車が線路上で停止し、五万人もの乗客が閉じ込められたまま夜を明かした。会見で責任について問われた葛西社長(当時)はしゃあしゃあと「あれは未曾有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」と発言し、猛批判を浴びたのだ。
杜撰すぎる「安全確認」
葛西氏がJR東の元社長の松田昌士氏、JR西のトップだった井手正敬氏とともに「国鉄改革三人組」と呼ばれたことは有名だ。三人とも、各社の絶対的リーダーとして君臨したが、一八年に返上するまで二十八年もの長きにわたって代表権を持ち続けたのは葛西氏だけである。
同氏の次の社長に就いた松本正之氏は「ポスト葛西」になると目されたが、すぐに実権のない副会長職に追いやられた挙げ句、NHKの会長として放り出された。後を継いだ山田佳臣氏は、リニア事業の採算性に疑問を投げかけるなど「反葛西」と目される動きも見せたが、最終的には大人しくなってしまう。その後は現会長の柘植康英氏が就き、現在の金子慎社長に繋がるが、「いずれも葛西チルドレン」(前出関係者)だ。
一部には「柘植会長が路線転換を図っている」(前出経済部記者)といった声もある。また「二二年の人事は金子社長が六年目も続投し独自色を出した」(前出関係者)との指摘も出ている。しかし、内情を知るある関係者は後継社長候補を社外に放逐し「サプライズ」とされた二二年の人事についても、「かなり病気が進行していた葛西氏が了承していた」と打ち明ける。つまり最後まで「脱葛西」はできなかったのだ。
話を今回の停電事故に戻す。JR東海は、最初に列車がストップして、わずか二十四分後に「安全が確認された」として上り線の運転を再開した。しかしその後になって現地確認で、ちょう架線の断線が判明し再度運行を停止したという。運転を再開させた当初の「安全確認」があまりに杜撰だ。今回のケースではちょう架線が切れて垂れ下がっており、状態によっては上り線を通過する列車に接触する危険性さえあった。「運行を優先し、安全を軽視した」という謗りは免れない。
今回の原因は、直前の点検作業での初歩的な見落としの可能性がある。東海道新幹線では一〇年一月にも架線が切れる事故があった。この時は、車両のパンタグラフのボルトをつけ忘れるというお粗末な理由だった。かねて「JR東海は東や西と比較して技術力が低い」(前出業界関係者)との指摘がある。その一因となっているのが現場への過度なプレッシャーだ。
JR東海は懲罰的処遇によって現場を締めつけることで有名。社員研修からして「軍隊染みている」(前出経済部記者)といい、これもまた「葛西イズム」の一端だ。JR東や西では国鉄時代の流れを汲む左派色の強い労組が残っていたが、東海では早々に切り崩されて従順なJR連合系労働組合員が大半を占める。過激労組員が少ないのは良いことかもしれないが、それが社員締めつけの結果であれば印象は変わってくる。
今回の事故では、列車に積まれた非常用バッテリーが車内空調などには使えず、乗客が寒さに震える一幕もあった。大量輸送を担う交通インフラとしては大きな欠陥だ。「ドル箱」である東海道新幹線は、開業から六十年近くが経過した。盛土などの老朽化も懸念されており、安全対策は喫緊の課題。そのためにも現経営陣には、染み付いた社内風土を変える責任がある。しかし彼らの背には最大の「負の遺産」であるリニアが重荷としてのしかかる。葛西氏の「呪縛」というトンネルの出口は見えない。
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