現代史の言霊 第52話
八月の訃報 -ダイアナ元妃の事故死(一九九七年)-
伊熊 幹雄
2022年8月号
《結婚生活は込み合っていた》
ダイアナ元皇太子妃
一九九七年八月三十一日未明。二十五年前のことだ。筆者はロンドンの自宅で、新聞社の東京本社からの電話で起こされた。デスクの「ダイアナが事故で大けがだ」という言葉で瞬時に目が覚めた。
現場はパリだ、という。大慌てでBBCを見た。愛人であるエジプト人富豪と乗ったベンツが、深夜のパリで「パパラッツィ」(追いかけカメラマン)の一群と派手なカーチェイスをした挙句、事故を起こしたことが分かった。
ダイアナは一年前の九六年八月にチャールズ皇太子と離婚して、「元妃」という奇妙なタイトルで呼ばれていた。注目度は桁外れで、この夜も約三十人のカメラマンがバイクなどで追跡していた。
車は猛スピードでセーヌ北岸沿い、アルマ広場下のトンネルを抜けようとしたところで、運転を誤った。時速百キロメートル超で、中央分離帯に激突した。運転手は後に法定の数倍の飲酒をしていたことが分かった。後に自分も現場を車で走ってみたが、時速五十キロの制限速度でもスピード感があり・・・
ダイアナ元皇太子妃
一九九七年八月三十一日未明。二十五年前のことだ。筆者はロンドンの自宅で、新聞社の東京本社からの電話で起こされた。デスクの「ダイアナが事故で大けがだ」という言葉で瞬時に目が覚めた。
現場はパリだ、という。大慌てでBBCを見た。愛人であるエジプト人富豪と乗ったベンツが、深夜のパリで「パパラッツィ」(追いかけカメラマン)の一群と派手なカーチェイスをした挙句、事故を起こしたことが分かった。
ダイアナは一年前の九六年八月にチャールズ皇太子と離婚して、「元妃」という奇妙なタイトルで呼ばれていた。注目度は桁外れで、この夜も約三十人のカメラマンがバイクなどで追跡していた。
車は猛スピードでセーヌ北岸沿い、アルマ広場下のトンネルを抜けようとしたところで、運転を誤った。時速百キロメートル超で、中央分離帯に激突した。運転手は後に法定の数倍の飲酒をしていたことが分かった。後に自分も現場を車で走ってみたが、時速五十キロの制限速度でもスピード感があり・・・