茂木敏充という「災厄」
幹事長が岸田政権の「急所」に
2021年12月号
人間にとって生老病死は避けることができない摂理である。古今東西、この摂理によって政治も翻弄されてきた。十月三十一日の衆院選からわずか十日余、自民党の名門派閥である「平成研究会(旧竹下派)」を舞台に権力の簒奪劇が展開された。きっかけとなったのが前会長の竹下亘の死去だった。竹下は自民党総裁選が告示された九月十七日夜、食道癌のため自宅で七十四歳の生涯を閉じた。
会長の死が異変を招かないはずはなかった。最も警戒していたのが、かつて「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄。会長代行の茂木敏充が虎視眈々と会長の座を狙っていたからだった。青木は竹下亘に口を酸っぱくして言い聞かせていた。
「茂木だけは会長にしてはいかんわね。義理も人情もない」
青木の耳には茂木が自身について「耄碌した爺さんには何を言っても意味はない」と漏らした言葉も伝わっていた。そこで青木は茂木の機先を制するように元経済企画庁長官の船田元を次期会長として起用する方針を固め、側近に伝えた。ところが、いざ“始動”という段になって事態が急変した。首相岸田文雄が決めたばかりの幹事長、甘利・・・
会長の死が異変を招かないはずはなかった。最も警戒していたのが、かつて「参院のドン」と呼ばれた青木幹雄。会長代行の茂木敏充が虎視眈々と会長の座を狙っていたからだった。青木は竹下亘に口を酸っぱくして言い聞かせていた。
「茂木だけは会長にしてはいかんわね。義理も人情もない」
青木の耳には茂木が自身について「耄碌した爺さんには何を言っても意味はない」と漏らした言葉も伝わっていた。そこで青木は茂木の機先を制するように元経済企画庁長官の船田元を次期会長として起用する方針を固め、側近に伝えた。ところが、いざ“始動”という段になって事態が急変した。首相岸田文雄が決めたばかりの幹事長、甘利・・・