東京ガス「北進戦略」が窮地に
仙台市営ガス「入札不調」の顛末
2021年10月号公開
該当なし!―。まさかの結末だった。
九月七日、不調に終わった仙台市営ガスの民営化入札を受け、記者会見した民営化推進委員会の橘川武郎委員長(国際大学副学長)はこう言い放った。
「ガス事業者としての“矜恃”が感じられない」
応札した東北電力、石油資源開発(JAPEX)、東京ガス、カメイの四社連合に対する酷評である。
提案内容は、入札価格は市の最低譲渡価格と同額の四百億円、民営化後五年間は現行料金を維持するが、肝腎の値下げや新サービスに具体的な言及はない。しかも、言い訳するように今後二万件の需要離脱を想定しているのだ。推進委の審査は二百点満点で八十五・三点の落第点である。「該当なし」とは、郡和子市長の「なめるな!」という怒りにほかならない。
なぜなら、革新系市長として八月に再選したばかりの郡氏にとって、市営ガス民営化は二期目の政策の柱だったからだ。怒りの矛先はもちろん、地元の電力会社に向けられている。電力・ガス業界からは不審の声が上がった。
「東北電の根回し不足だ。それとも、市長に喧嘩を売る気か」
東北電力の失態で水泡に
仙台市営ガスは、三十四万件の顧客を誇る最大の公営ガスである。しかし、仙台LNG(液化天然ガス)基地の償却負担や、マレーシア産LNGの高値調達が響き、業績不振が続いてきた。過去七年は黒字を維持したものの、累積損失を抱え、企業債残高は昨年度末時点でなお三百十二億円残る。応札者には気が重い案件だった。
東北電にとって応札は、他のエネルギー企業が落札した場合、ガスと電気のセット販売を始め、膝下の需要を奪われるのを阻止することが目的。仙台市へ新潟産天然ガスをパイプライン供給しているJAPEXも事業存続のための応札。いずれも後ろ向きの動機であり、四社連合代表の東北電には「企業債を一掃できる四百億円で買収してやれば、市は御の字」という侮りがあったことは否めない。
それが革新系市長の不興を買った。東北電の誤算と言えるが、この結果、“漁夫の利”を逃したのは誰か―。「東ガスだろう」と、地元のある商工関係者は囁く。
「北進戦略を復活させる絶好の機会だったのに、応札に曖昧な態度を取ったことが災いした」
北進戦略とは、かつて東ガスが掲げた、都心から二百キロ圏の北関東・南東北のガス需要を総取りする構想である。そのために日立LNG基地(茨城)を建設、小名浜サテライト拠点(福島)も開設した。が、これに危機感を抱いたのがJAPEXだ。仙台市へのガス供給の効率化を名目に相馬LNG基地(福島)を建設し、事実上、東ガスの北進を挫いたのだ。
しかし、東ガスは仙台ガス事業に参画すれば、東北進出の橋頭堡を確保することになる。周辺需要を開拓し、将来的には自社LNGの供給拡大にもつながるだろう。なぜなら、東北電、JAPEXには都市ガス事業のノウハウはなく、保安業務や機器工事に東ガスの存在は不可欠だからだ。まさに“漁夫の利”を掌中にしつつあった東ガスだが、そんなことは内田高史社長は“おくび”にも出さない。むしろ、応札に消極的な発言を繰り返していた。
「白紙だ。仙台の事業価値を上げる目算がつかない」
最大の懸念は人的負担だった。三十四万件の顧客を維持するには三百人規模の営業・保安要員が必要だが、それを一社で派遣してペイするか―。内田氏の渋面は続いた。が、東北の老舗商社、カメイが応札者に加わったのである。LPガス事業を展開する同社と顧客対応を分ければ、東ガスの負担は大きく軽減される。つれない素振りで好機を待つ内田氏の熟柿戦術は見事当たったわけだ。
実際、東ガスは昨年十月の応札に際し、岸野寛専務をトップとする「エリア開発プロジェクト部」を新設、仙台シフトを進めていた。内部からは「社長は初めからやる気だった」という声が聞こえる。ところが、その目論見は東北電の失態で水泡に帰したのである。
大ガスが仙台を落とす“悪夢”
「三度目の入札を行えば、応札者の組み替えが起こるだろう」
仙台市からはこんな声が上がる。郡市長が掲げた二〇二二年度の民営化完了はご破算、仕切り直しの入札は二~三年後とみられるが、それは三度目になる。
〇八年の最初の入札にも、東北電、JAPEX、東ガスは三社連合を組んで応札した。が、当時の入札は、民営化後も市の「黄金株」保有やガス局職員の待遇維持など条件が厳しく、何より企業債残高は六百億円に達しており、三社側が実質辞退した経緯がある。市は今回、これらの条件を撤廃し、最低譲渡価格も四百億円へ引き下げた。にもかかわらず、「再び袖にされた」という認識だろう。
とりわけ下限四百億円の入札価格について、東北電は「最大限の提案」と弁解したが、その相場観は応札者側がつくったものなのだ。実は東ガスの内田氏は、一九年九月十一日付の電気新聞のインタビュー記事でこう語っていた。
〈応札金額は少なくとも四百億円以上になるのは間違いなく、その価値があるのか冷静に見極める〉
見極めたうえで応札したのであれば、なぜもっと魅力的な提案をしなかったのか、市の不満は募る一方だ。推進委の橘川委員長は入札不調の理由を「競合者を増やせなかった」こととし、四社一グループのみの応札の非を鳴らした。郡市長がその二の舞いを嫌えば、三度目の入札はもはや東北電を頼りにしないだろう。
いや、市は今回も関西電力、中部電力、大阪ガス、ENEOSなどエネルギー大手に応札を働き掛けていたのだ。この中で、市のために汗馬の労を取るとすれば、大ガスに違いない。
東日本大震災の際、被災した仙台市営ガスの復旧を支援したのは大ガスだった。同じく被災した東ガスを尻目に、一千人規模の応援部隊を送り込んでいる。大ガスが提携先の中電と民営化に名乗りを上げたらどうなるか―。仙台ガス事業に死活がかかるJAPEXは、“勝ち馬”に乗ろうと合流するだろう。そのJAPEXの相馬LNG基地に隣接する火力電源は、大ガスの二〇%の出資先なのだ。前出の商工関係者が続けた。
「万一仙台が大ガス、中電、JAPEXの手に落ちれば、彼らは相馬LNG基地を拠点に関東へ攻め込むだろう。東ガスの北進戦略は頓挫することになる」
かつて昭和の軍部は北進(対ソ戦)か、南進(対英蘭戦)かに逡巡したが、それを東ガスに擬すれば、南を緊張関係にある静岡ガス、京葉ガスに封じられている同社は、北へ伸びるしかない。ならば、仙台市営ガスの三度目の入札に向け、ガス事業者としての“矜恃”を示すか―。脱炭素の中で東ガスの覚悟が問われている。
九月七日、不調に終わった仙台市営ガスの民営化入札を受け、記者会見した民営化推進委員会の橘川武郎委員長(国際大学副学長)はこう言い放った。
「ガス事業者としての“矜恃”が感じられない」
応札した東北電力、石油資源開発(JAPEX)、東京ガス、カメイの四社連合に対する酷評である。
提案内容は、入札価格は市の最低譲渡価格と同額の四百億円、民営化後五年間は現行料金を維持するが、肝腎の値下げや新サービスに具体的な言及はない。しかも、言い訳するように今後二万件の需要離脱を想定しているのだ。推進委の審査は二百点満点で八十五・三点の落第点である。「該当なし」とは、郡和子市長の「なめるな!」という怒りにほかならない。
なぜなら、革新系市長として八月に再選したばかりの郡氏にとって、市営ガス民営化は二期目の政策の柱だったからだ。怒りの矛先はもちろん、地元の電力会社に向けられている。電力・ガス業界からは不審の声が上がった。
「東北電の根回し不足だ。それとも、市長に喧嘩を売る気か」
東北電力の失態で水泡に
仙台市営ガスは、三十四万件の顧客を誇る最大の公営ガスである。しかし、仙台LNG(液化天然ガス)基地の償却負担や、マレーシア産LNGの高値調達が響き、業績不振が続いてきた。過去七年は黒字を維持したものの、累積損失を抱え、企業債残高は昨年度末時点でなお三百十二億円残る。応札者には気が重い案件だった。
東北電にとって応札は、他のエネルギー企業が落札した場合、ガスと電気のセット販売を始め、膝下の需要を奪われるのを阻止することが目的。仙台市へ新潟産天然ガスをパイプライン供給しているJAPEXも事業存続のための応札。いずれも後ろ向きの動機であり、四社連合代表の東北電には「企業債を一掃できる四百億円で買収してやれば、市は御の字」という侮りがあったことは否めない。
それが革新系市長の不興を買った。東北電の誤算と言えるが、この結果、“漁夫の利”を逃したのは誰か―。「東ガスだろう」と、地元のある商工関係者は囁く。
「北進戦略を復活させる絶好の機会だったのに、応札に曖昧な態度を取ったことが災いした」
北進戦略とは、かつて東ガスが掲げた、都心から二百キロ圏の北関東・南東北のガス需要を総取りする構想である。そのために日立LNG基地(茨城)を建設、小名浜サテライト拠点(福島)も開設した。が、これに危機感を抱いたのがJAPEXだ。仙台市へのガス供給の効率化を名目に相馬LNG基地(福島)を建設し、事実上、東ガスの北進を挫いたのだ。
しかし、東ガスは仙台ガス事業に参画すれば、東北進出の橋頭堡を確保することになる。周辺需要を開拓し、将来的には自社LNGの供給拡大にもつながるだろう。なぜなら、東北電、JAPEXには都市ガス事業のノウハウはなく、保安業務や機器工事に東ガスの存在は不可欠だからだ。まさに“漁夫の利”を掌中にしつつあった東ガスだが、そんなことは内田高史社長は“おくび”にも出さない。むしろ、応札に消極的な発言を繰り返していた。
「白紙だ。仙台の事業価値を上げる目算がつかない」
最大の懸念は人的負担だった。三十四万件の顧客を維持するには三百人規模の営業・保安要員が必要だが、それを一社で派遣してペイするか―。内田氏の渋面は続いた。が、東北の老舗商社、カメイが応札者に加わったのである。LPガス事業を展開する同社と顧客対応を分ければ、東ガスの負担は大きく軽減される。つれない素振りで好機を待つ内田氏の熟柿戦術は見事当たったわけだ。
実際、東ガスは昨年十月の応札に際し、岸野寛専務をトップとする「エリア開発プロジェクト部」を新設、仙台シフトを進めていた。内部からは「社長は初めからやる気だった」という声が聞こえる。ところが、その目論見は東北電の失態で水泡に帰したのである。
大ガスが仙台を落とす“悪夢”
「三度目の入札を行えば、応札者の組み替えが起こるだろう」
仙台市からはこんな声が上がる。郡市長が掲げた二〇二二年度の民営化完了はご破算、仕切り直しの入札は二~三年後とみられるが、それは三度目になる。
〇八年の最初の入札にも、東北電、JAPEX、東ガスは三社連合を組んで応札した。が、当時の入札は、民営化後も市の「黄金株」保有やガス局職員の待遇維持など条件が厳しく、何より企業債残高は六百億円に達しており、三社側が実質辞退した経緯がある。市は今回、これらの条件を撤廃し、最低譲渡価格も四百億円へ引き下げた。にもかかわらず、「再び袖にされた」という認識だろう。
とりわけ下限四百億円の入札価格について、東北電は「最大限の提案」と弁解したが、その相場観は応札者側がつくったものなのだ。実は東ガスの内田氏は、一九年九月十一日付の電気新聞のインタビュー記事でこう語っていた。
〈応札金額は少なくとも四百億円以上になるのは間違いなく、その価値があるのか冷静に見極める〉
見極めたうえで応札したのであれば、なぜもっと魅力的な提案をしなかったのか、市の不満は募る一方だ。推進委の橘川委員長は入札不調の理由を「競合者を増やせなかった」こととし、四社一グループのみの応札の非を鳴らした。郡市長がその二の舞いを嫌えば、三度目の入札はもはや東北電を頼りにしないだろう。
いや、市は今回も関西電力、中部電力、大阪ガス、ENEOSなどエネルギー大手に応札を働き掛けていたのだ。この中で、市のために汗馬の労を取るとすれば、大ガスに違いない。
東日本大震災の際、被災した仙台市営ガスの復旧を支援したのは大ガスだった。同じく被災した東ガスを尻目に、一千人規模の応援部隊を送り込んでいる。大ガスが提携先の中電と民営化に名乗りを上げたらどうなるか―。仙台ガス事業に死活がかかるJAPEXは、“勝ち馬”に乗ろうと合流するだろう。そのJAPEXの相馬LNG基地に隣接する火力電源は、大ガスの二〇%の出資先なのだ。前出の商工関係者が続けた。
「万一仙台が大ガス、中電、JAPEXの手に落ちれば、彼らは相馬LNG基地を拠点に関東へ攻め込むだろう。東ガスの北進戦略は頓挫することになる」
かつて昭和の軍部は北進(対ソ戦)か、南進(対英蘭戦)かに逡巡したが、それを東ガスに擬すれば、南を緊張関係にある静岡ガス、京葉ガスに封じられている同社は、北へ伸びるしかない。ならば、仙台市営ガスの三度目の入札に向け、ガス事業者としての“矜恃”を示すか―。脱炭素の中で東ガスの覚悟が問われている。
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