をんな千一夜 第53話
軍国少女の「日記」
石井 妙子
2021年9月号
《田辺 聖子》
オリンピックが終わり宴のあとの寂寥感どころか、コロナパニックが列島を覆っている。
開会式を少しだけ見たが、愕然とするばかりだった。伝統の匂いも、文化の厚みも感じられず、いったい何を表現したかったのか。文化力も衰えた空虚な国になってしまったことだけは確認できた。
そうした中で八月十五日を迎え、二カ月遅れで私は『文藝春秋』七月号を手に取った。先般、発見されて話題になった田辺聖子の戦中日記が掲載されている。それを読みたかったからだ。
田辺聖子は二〇一九年に九十一歳で他界。この「日記」は遺品整理をしていた親族によって、押し入れの中から発見されたという。
一九四五年四月一日から書き起こされているが、田辺は当時、数えの十八歳。大阪の樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)に通っていたが学業は中断され、軍需工場に住み込み、勤労奉仕に明け暮れる毎日を送っていた。
日常生活や戦時下を生きる自身の思いが率直に綴られている。優れた文章力、批評眼、洞察力。すでに少女は〝作家・田・・・
オリンピックが終わり宴のあとの寂寥感どころか、コロナパニックが列島を覆っている。
開会式を少しだけ見たが、愕然とするばかりだった。伝統の匂いも、文化の厚みも感じられず、いったい何を表現したかったのか。文化力も衰えた空虚な国になってしまったことだけは確認できた。
そうした中で八月十五日を迎え、二カ月遅れで私は『文藝春秋』七月号を手に取った。先般、発見されて話題になった田辺聖子の戦中日記が掲載されている。それを読みたかったからだ。
田辺聖子は二〇一九年に九十一歳で他界。この「日記」は遺品整理をしていた親族によって、押し入れの中から発見されたという。
一九四五年四月一日から書き起こされているが、田辺は当時、数えの十八歳。大阪の樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)に通っていたが学業は中断され、軍需工場に住み込み、勤労奉仕に明け暮れる毎日を送っていた。
日常生活や戦時下を生きる自身の思いが率直に綴られている。優れた文章力、批評眼、洞察力。すでに少女は〝作家・田・・・