皇室の風 151
「ずっと覚えています」
岩井 克己
2021年3月号
先ごろ、常磐自動車道を運転して福島県双葉町へ初めて入った。
昨年三月、町域の四パーセントほどだが、新設の双葉インターやJR常磐線双葉駅周辺の避難指示が九年ぶりに解除されたので、竣工した東日本大震災・原子力災害伝承館を見たかった。
インターは小さくて目立たず、危うく素通りしそうになった。細いアスファルト道路を、次々にすれ違う巨大なダンプトラックに首をすくめながら進むと、周りは広漠とした更地ばかり。汚染土を詰めた無数の黒い土嚢、フレコンバッグがびっしり並ぶ。
同インターは、双葉町が「何年かかっても実現すべき理想とする将来の姿」として描いた「復興まちづくり長期ビジョン」の目玉「復興インターチェンジ」だ。しかし、今も住民の帰還定住の見通しは立たないという。荒涼とした現地の風景に胸が痛んだ。
十年前の四月八日、天皇・皇后(当時)が埼玉県加須市の旧騎西高校に見舞った約一千四百人の町民は、いまどこでどう暮らしているのだろうか。小学校入学式当日でピンクのランドセルを背負い、皇后から「お友達たくさんつくってね」と声をかけられた女の子はどうしているだろうか・・・
昨年三月、町域の四パーセントほどだが、新設の双葉インターやJR常磐線双葉駅周辺の避難指示が九年ぶりに解除されたので、竣工した東日本大震災・原子力災害伝承館を見たかった。
インターは小さくて目立たず、危うく素通りしそうになった。細いアスファルト道路を、次々にすれ違う巨大なダンプトラックに首をすくめながら進むと、周りは広漠とした更地ばかり。汚染土を詰めた無数の黒い土嚢、フレコンバッグがびっしり並ぶ。
同インターは、双葉町が「何年かかっても実現すべき理想とする将来の姿」として描いた「復興まちづくり長期ビジョン」の目玉「復興インターチェンジ」だ。しかし、今も住民の帰還定住の見通しは立たないという。荒涼とした現地の風景に胸が痛んだ。
十年前の四月八日、天皇・皇后(当時)が埼玉県加須市の旧騎西高校に見舞った約一千四百人の町民は、いまどこでどう暮らしているのだろうか。小学校入学式当日でピンクのランドセルを背負い、皇后から「お友達たくさんつくってね」と声をかけられた女の子はどうしているだろうか・・・