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連載

西風 474

タカラヅカの変革と模索

2020年11月号

 ピンと伸びた背筋、クラシックだけれど、しゃれたグレーの制服。阪急宝塚駅のプラットホームに立つ宝塚音楽学校の生徒の姿は宝塚市民にはおなじみの光景だ。電車を待つ間も両足を軽く交差させ、両手を前で重ねるポーズを保って微動だにしない。宝塚音楽学校の生徒の存在は五十メートル離れた位置からでも分かる。
 そんなタカラジェンヌの卵を教育している宝塚音楽学校は、阪急電鉄の創業者小林一三が大正二年に宝塚唱歌隊として創立した。二年制で声楽やダンス、演劇などを学び、舞台人を育てている。入学できるのは十五歳から十八歳で、一学年約四十人の定員なので毎年の競争率は二十倍を超える狭き門として有名だ。上級生を「本科生」、下級生は「予科生」と呼ばれる。その宝塚音楽学校の教育が、今、大きく変貌しようとしている。
 宝塚音楽学校は上級生が下級生を一対一で、掃除の仕方から生活態度まで指導するのが伝統だった。あいさつや上級生への接し方などにも不文律があった。路上で先輩にあいさつする時は大声をあげねばならない。
 本科生と話す時は眉間にしわを寄せ、口角を下げる「予科顔」と呼ばれる表情で接し、返事は・・・