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連載

をんな千一夜 第39話

伊藤博文が愛した「文学芸者」
石井 妙子

2020年6月号

《樋田 千穂》

 東京の新橋花柳界は明治以降、政財界に支えられて隆盛してきたが、現在、お茶屋の双璧として知られるのが新喜楽と金田中であろう。
 その金田中は大茶屋の田中家で仲居頭をしていた金子とらが、大正時代に自分の一字を取って始めた店だ。一方、本家筋の田中家は昭和三十年代に潰えてしまった。
 最後の田中家女将の名は樋田千穂。伊藤博文の愛妾だった人だ。
 千穂は明治十一(一八七八)年生まれ。父は大阪の弁護士会長をしていた樋田保煕、母は大阪北新地に名の聞こえた芸者お國。だが、生まれてすぐに樋田家へ引き取られ、正妻の手で育てられた。
 養母はキリスト教信者で梅花女学校に英語を習いに通うような進歩的女性。当時の樋田家には後に日本女子大学の創立者となる成瀬仁蔵も居候していたという。
 しかし、十歳を過ぎて人生が暗転する。弁護士の父が山っ気を出して事業に手を出し失敗。土蔵付きの邸宅から一転、長屋暮らしになってしまう。
 駄菓子屋を営み、糊口をしのぐ毎日。文学少女だった千穂は樋口一葉・・・