本に遇う 第238話
新聞人の出処進退
河谷 史夫
2019年10月号
井上靖に小説『城砦』がある。
それに桂正伸という初老の男が出て来る。桂は、手塩にかけて育てた「TR工業」の社長を惜しげもなく辞めて、道楽の釣りに余生を送ろうとする。
「長身で、痩せ型で、顔は陽灼けして色が黒かった。六十歳に近いということだが、老人じみたところはどこにもなかった」
「その引退事件は、いろいろに解釈されていた。それが突然のことであったので、組合との関係がもつれて、それで責任をとったのだとか、会社内部の長く続いていた勢力争いの犠牲になったのだとか……勝手なことが取り沙汰されていた」
「彼と親しい一部の者の間では『彼は会社勤めがふと厭になったのだ。厭だと思い立つと無性に矢も楯もなく厭になってしまう。そういう生まれつき我儘なところがある』という見方も行われていた」
一九六二年の夏から一年間、毎日新聞に連載された。主人公の桂は「あれだけきっぷのいい男は当今余りない」と、伊豆の釣り宿の内儀が折り紙をつけるほどだ。「釣り宿の内儀さんと、美人の娘さんと、そこの女中の三人に、家を挙げて惚れられていた」。{b・・・
それに桂正伸という初老の男が出て来る。桂は、手塩にかけて育てた「TR工業」の社長を惜しげもなく辞めて、道楽の釣りに余生を送ろうとする。
「長身で、痩せ型で、顔は陽灼けして色が黒かった。六十歳に近いということだが、老人じみたところはどこにもなかった」
「その引退事件は、いろいろに解釈されていた。それが突然のことであったので、組合との関係がもつれて、それで責任をとったのだとか、会社内部の長く続いていた勢力争いの犠牲になったのだとか……勝手なことが取り沙汰されていた」
「彼と親しい一部の者の間では『彼は会社勤めがふと厭になったのだ。厭だと思い立つと無性に矢も楯もなく厭になってしまう。そういう生まれつき我儘なところがある』という見方も行われていた」
一九六二年の夏から一年間、毎日新聞に連載された。主人公の桂は「あれだけきっぷのいい男は当今余りない」と、伊豆の釣り宿の内儀が折り紙をつけるほどだ。「釣り宿の内儀さんと、美人の娘さんと、そこの女中の三人に、家を挙げて惚れられていた」。{b・・・