「子殺し」元農水次官の難き人生行路
高級官僚を蝕む「孤独」の病魔
2019年7月号
「元農林水産省事務次官が自宅で長男を刺殺」という衝撃的な事件から一カ月たったが、優秀、慎重、真面目と報道される熊澤英昭被告と犯行が結びつかない。深刻な家庭事情があったことが、主に会員制交流サイト(SNS)などネット上の映像や書き込みを基に伝えられているが、もっと根深い何かがあると思わざるを得ない。高級官僚が働く東京「霞が関」に巣くう「孤独」という病理はその一つではないだろうか。
戦後の日本の農業政策の転換点となったのは、一九九三年末に細川護熙政権下で決着した新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)だ。中でもコメ市場の部分開放は、戦時中から続いていた食糧管理制度を大転換するきっかけとなった。もう一つの激震は、二〇〇一年九月に明らかになった牛海綿状脳症(BSE)の国内発生だ。予防失敗の責任を問われた農水省は解体寸前の危機に直面した。この四半世紀に起きた「コメと牛肉」の政策について、すべてを語れる唯一の生き証人こそ、熊澤被告だ。
「保秘」の苦しみ
ウルグアイ・ラウンドが決着に向かって動き出した一九九三・・・
戦後の日本の農業政策の転換点となったのは、一九九三年末に細川護熙政権下で決着した新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)だ。中でもコメ市場の部分開放は、戦時中から続いていた食糧管理制度を大転換するきっかけとなった。もう一つの激震は、二〇〇一年九月に明らかになった牛海綿状脳症(BSE)の国内発生だ。予防失敗の責任を問われた農水省は解体寸前の危機に直面した。この四半世紀に起きた「コメと牛肉」の政策について、すべてを語れる唯一の生き証人こそ、熊澤被告だ。
「保秘」の苦しみ
ウルグアイ・ラウンドが決着に向かって動き出した一九九三・・・