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連載

をんな千一夜 第23話

皇統を繋いだ日陰の女
石井 妙子

2019年2月号

柳原愛子

孝明天皇も明治天皇も大正天皇も正妻の子どもではなく、実母は側室である。
 明治天皇と美子皇后の間には子どもはひとりも生まれず、それもあって天皇は複数の女官を側室とした。そのうち五人が出産を経験して、生まれた皇子皇女は十五人。ところが、うち十人は次々と夭折して、成人できたのは後に大正天皇となる皇子がひとりと、皇女四人の五人のみであった。亡くなった十人の死因は、すべて脳膜炎である。
 明治元年、天皇は京都から江戸城に入り、ここを皇居とした。皇族や公家、女官たちも東京へと多くが居を移し、京都御所同様、後宮が形成されると、女官たちが天皇の日常生活を支えた。
 妙齢で、天皇に選ばれた女のみが側室となる。皇統を維持するには必要なことであり、伝統にも沿っていた。もちろん、美子皇后も了承してのことだ。だが、だからといって胸の内が穏やかだったというわけでもなく、天皇が新しい侍女を側室に迎え、「皇后ご立腹。岩倉具視、その和解のために苦心」といったことも、あったらしい。
 出産した側室五人は全員が公・・・