危機迫る「アフリカ豚コレラ」の猛威
「価格暴騰」豚肉が食卓から消える日
2018年12月号公開
「よかった、アフトンでなくて本当によかった」―。岐阜県の豚コレラ発生を受けた獣医師ら専門家の本音だ。「アフトン」とはアフリカ豚コレラのことだ。もともとは名前の通り、アフリカで流行する豚とイボイノシシに特有の病気だったが、東欧、ロシアを経て中国に拡散、日本へも接近中だ。その恐ろしさは、豚コレラの比ではない。ワクチンが開発されていないため殺す以外に防御策はなく、養豚業が壊滅的な打撃を受ける。封じ込めに失敗すれば、空港の利用制限など社会生活にも影響は及び、東京オリンピックの運営に支障が生じる事態も排除できない。
アフトンは、症状は似ているが通常の豚コレラとは別のウイルスで感染する。二〇〇七年にジョージア、アルメニア、ロシアで発生。海を渡った原因として飛行機内で発生した残飯を空港で回収し豚の餌に使ったことが疑われている。一四年になってリトアニアなどバルト三国でも発生、一七年にはチェコ、ルーマニアに広がり、今年八月にアジアで初の感染が中国で確認された。いまや同国二十省四十七市で七十三例(十一月二十二日時点)と猛威を振るっている。日本でも、十月一日に北京から新千歳空港に入った旅客の手荷物のソーセージからアフトンのウイルスの遺伝子を検出、十月十四日に羽田空港に到着した旅客の自家製のギョーザからも見つかっており、まさしく瀬戸際状態だ。
物流や人の移動にも支障
アフトンも豚コレラも、人間のコレラとは全く関係がない豚やイノシシの病気で、人間には感染しないし感染した肉を食べても健康に影響はない。このため警戒が緩みがちだが、社会・経済への影響は甚大だ。例えば一九七八年にアフトンが発生したスペインでは、三年間で約六十万頭の殺処分に追い込まれ、農業経済に大打撃を与えた。ウイルスは食品や土に含まれることが多く、家畜の病気が大発生すると物流や人の移動の管理を強化する必要がある。豚コレラではないが、英国では二〇〇一年に口蹄疫に見舞われ、実に六百万頭を殺処分。総選挙が二カ月延期され、競馬やラグビーなどの試合も相次いで中止となった。
アフトンは、感染した場合の治療法がなく致死率が高いだけでなく、ダニが媒介する点で豚コレラよりはるかに防御が難しい。国連食糧農業機関(FAO)は「アジアで大発生の恐れがある」と繰り返し警告し、欧米の研究機関にワクチンの早期開発を促している。
仮に、日本への侵入を阻止できても、豚肉の調達に甚大な支障が生じる。中国は「豚肉大国」だ。生産・消費の両面で世界の約半分を占めており、アフトンの拡大で豚が大量死した場合、豚肉の需給バランスが大きく崩れる。ある商社マンは「中国の豚肉生産が一割落ちるだけで、米国と欧州の総輸出量に相当する。中国が国内需要を満たすために海外からの調達を増やせば、連鎖的に日本でも供給不足が生じる」と警告、豚肉の価格上昇がありうると予想している。
一方、豚コレラは優れた生ワクチンが開発されており、感染が拡大した場合は、ワクチン接種という「切り札」がある。ただし、世界貿易機関(WTO)のルール上、ワクチン接種の実施国からは原則として、ワクチンを使用しない清浄国に対して畜産物を輸出できない。豚肉、ハムなど食肉加工品はもちろん、精子や生体、皮革なども含まれる。逆にワクチンを接種している感染国からの輸入を禁止できなくなる。ワクチン接種国は途上国に多く、通常は豚肉などの価格が安いため、輸入が急増して経済的に養豚業は追い詰められる。ワクチンを使うと貿易上の優位性を失い、豚の命を救えても養豚業は救われないのだ。このため農林水産省は家畜の伝染病対策はスタンピング・アウト(徹底した殺処分)を原則とし、一〇年の宮崎県の口蹄疫では約三十万頭の牛と豚を殺してようやく終息した。
豚コレラは一九九二年に熊本県で発生したのを最後に国内では発生がなく、二〇〇六年にはワクチン接種を禁止、翌年から日本は豚コレラに関して「清浄国」の地位を手に入れた。これにより台湾や中国産の安い豚肉の輸入をやめてきたのだ。今年九月九日に岐阜市で豚コレラの発生が確認されたことで、日本はこの貴重なステイタスを失った。この深刻さを全く理解していないのが岐阜県だ。
二重構造と縦割り行政の弊害
同県の養豚場で八月二十三日に豚の異常を確認しながら、獣医師はアフトンも豚コレラも疑わず、九月七日に農水省から指示を受けるまで立ち入り検査さえしないなど初動で大きく混乱した。一三年六月に国の「防疫指針」が全面改正されたのに、見直すべき県の指針の改定をさぼり、古いマニュアルをそのまま使っていたことも判明した。
県は十一月五日にまとめた検証報告で「遺伝子検査で(豚コレラが)陽性判定となったときですら半信半疑であった。(中略)まさか本県において国内二十六年ぶりの豚コレラが発生することはないだろうとの思い込みもあった」と反省しているが、具体的な対策は「来年三月までに検討」と先送りされ、感染ルートの究明はおろか再発防止策も不十分なままだ。発生農場の防疫作業が終わってからも周辺では野生イノシシの感染が相次いで確認され、五十九頭(十一月二十七日時点)に達している。県内の養豚場は、いわば豚コレラウイルスの洪水の中、イノシシの侵入を防ぐ柵で囲った「輪中」(岐阜・長良川下流の集落を囲むリング状の堤防)のような状態で放置されてきた。
しかも、柵だけではまったく無防備だ。豚コレラのウイルスを運ぶのはイノシシだけではない。イノシシやその排泄物と接触したネズミなど小動物やカラス、場合によっては長靴に付着した泥を介して人間が運ぶこともある。案の定、十一月十六日には、岐阜市が運営する畜産センター公園で二例目の発生を確認、二十一頭の殺処分を迫られた。民間養豚場の模範となるべき公的機関での発生であり、間抜けと言うほかない。
岐阜県の古田肇知事は「おまえら幼稚園児か」と県の担当者を叱り飛ばすが、自身の危機管理意識も不十分だ。イノシシの感染が相次いでいる十月下旬にフランス・パリに四日間滞在して、飛騨牛の「試食」や美術館の「視察」に参加。二例目が発生する直前の十一月中旬にも中国、香港、ベトナムに一週間外遊して不在だった。
一方、吉川貴盛農水相は十一月九~十一日に北京を訪れ、中国、韓国の農相と会談してワクチン開発など対策を協議している。国と県が危機感を共有できない根本原因は、家畜伝染病予防法が「農水省の法律」で、実務は都道府県が担うという二層構造にある。さらに、法務省の入国管理と厚生労働省の防疫(人)、財務省の税関(モノ)、農水省の防疫(植物や動物)が縦割りで、情報や危機意識を共有できない。ウイルスに国境や県境はない。伝染病の予防・対策は国が一元的に対応するべきだ。東京五輪を控えて、リスクはますます高くなる。人やモノの出入国管理の態勢を見直す好機としたい。
アフトンは、症状は似ているが通常の豚コレラとは別のウイルスで感染する。二〇〇七年にジョージア、アルメニア、ロシアで発生。海を渡った原因として飛行機内で発生した残飯を空港で回収し豚の餌に使ったことが疑われている。一四年になってリトアニアなどバルト三国でも発生、一七年にはチェコ、ルーマニアに広がり、今年八月にアジアで初の感染が中国で確認された。いまや同国二十省四十七市で七十三例(十一月二十二日時点)と猛威を振るっている。日本でも、十月一日に北京から新千歳空港に入った旅客の手荷物のソーセージからアフトンのウイルスの遺伝子を検出、十月十四日に羽田空港に到着した旅客の自家製のギョーザからも見つかっており、まさしく瀬戸際状態だ。
物流や人の移動にも支障
アフトンも豚コレラも、人間のコレラとは全く関係がない豚やイノシシの病気で、人間には感染しないし感染した肉を食べても健康に影響はない。このため警戒が緩みがちだが、社会・経済への影響は甚大だ。例えば一九七八年にアフトンが発生したスペインでは、三年間で約六十万頭の殺処分に追い込まれ、農業経済に大打撃を与えた。ウイルスは食品や土に含まれることが多く、家畜の病気が大発生すると物流や人の移動の管理を強化する必要がある。豚コレラではないが、英国では二〇〇一年に口蹄疫に見舞われ、実に六百万頭を殺処分。総選挙が二カ月延期され、競馬やラグビーなどの試合も相次いで中止となった。
アフトンは、感染した場合の治療法がなく致死率が高いだけでなく、ダニが媒介する点で豚コレラよりはるかに防御が難しい。国連食糧農業機関(FAO)は「アジアで大発生の恐れがある」と繰り返し警告し、欧米の研究機関にワクチンの早期開発を促している。
仮に、日本への侵入を阻止できても、豚肉の調達に甚大な支障が生じる。中国は「豚肉大国」だ。生産・消費の両面で世界の約半分を占めており、アフトンの拡大で豚が大量死した場合、豚肉の需給バランスが大きく崩れる。ある商社マンは「中国の豚肉生産が一割落ちるだけで、米国と欧州の総輸出量に相当する。中国が国内需要を満たすために海外からの調達を増やせば、連鎖的に日本でも供給不足が生じる」と警告、豚肉の価格上昇がありうると予想している。
一方、豚コレラは優れた生ワクチンが開発されており、感染が拡大した場合は、ワクチン接種という「切り札」がある。ただし、世界貿易機関(WTO)のルール上、ワクチン接種の実施国からは原則として、ワクチンを使用しない清浄国に対して畜産物を輸出できない。豚肉、ハムなど食肉加工品はもちろん、精子や生体、皮革なども含まれる。逆にワクチンを接種している感染国からの輸入を禁止できなくなる。ワクチン接種国は途上国に多く、通常は豚肉などの価格が安いため、輸入が急増して経済的に養豚業は追い詰められる。ワクチンを使うと貿易上の優位性を失い、豚の命を救えても養豚業は救われないのだ。このため農林水産省は家畜の伝染病対策はスタンピング・アウト(徹底した殺処分)を原則とし、一〇年の宮崎県の口蹄疫では約三十万頭の牛と豚を殺してようやく終息した。
豚コレラは一九九二年に熊本県で発生したのを最後に国内では発生がなく、二〇〇六年にはワクチン接種を禁止、翌年から日本は豚コレラに関して「清浄国」の地位を手に入れた。これにより台湾や中国産の安い豚肉の輸入をやめてきたのだ。今年九月九日に岐阜市で豚コレラの発生が確認されたことで、日本はこの貴重なステイタスを失った。この深刻さを全く理解していないのが岐阜県だ。
二重構造と縦割り行政の弊害
同県の養豚場で八月二十三日に豚の異常を確認しながら、獣医師はアフトンも豚コレラも疑わず、九月七日に農水省から指示を受けるまで立ち入り検査さえしないなど初動で大きく混乱した。一三年六月に国の「防疫指針」が全面改正されたのに、見直すべき県の指針の改定をさぼり、古いマニュアルをそのまま使っていたことも判明した。
県は十一月五日にまとめた検証報告で「遺伝子検査で(豚コレラが)陽性判定となったときですら半信半疑であった。(中略)まさか本県において国内二十六年ぶりの豚コレラが発生することはないだろうとの思い込みもあった」と反省しているが、具体的な対策は「来年三月までに検討」と先送りされ、感染ルートの究明はおろか再発防止策も不十分なままだ。発生農場の防疫作業が終わってからも周辺では野生イノシシの感染が相次いで確認され、五十九頭(十一月二十七日時点)に達している。県内の養豚場は、いわば豚コレラウイルスの洪水の中、イノシシの侵入を防ぐ柵で囲った「輪中」(岐阜・長良川下流の集落を囲むリング状の堤防)のような状態で放置されてきた。
しかも、柵だけではまったく無防備だ。豚コレラのウイルスを運ぶのはイノシシだけではない。イノシシやその排泄物と接触したネズミなど小動物やカラス、場合によっては長靴に付着した泥を介して人間が運ぶこともある。案の定、十一月十六日には、岐阜市が運営する畜産センター公園で二例目の発生を確認、二十一頭の殺処分を迫られた。民間養豚場の模範となるべき公的機関での発生であり、間抜けと言うほかない。
岐阜県の古田肇知事は「おまえら幼稚園児か」と県の担当者を叱り飛ばすが、自身の危機管理意識も不十分だ。イノシシの感染が相次いでいる十月下旬にフランス・パリに四日間滞在して、飛騨牛の「試食」や美術館の「視察」に参加。二例目が発生する直前の十一月中旬にも中国、香港、ベトナムに一週間外遊して不在だった。
一方、吉川貴盛農水相は十一月九~十一日に北京を訪れ、中国、韓国の農相と会談してワクチン開発など対策を協議している。国と県が危機感を共有できない根本原因は、家畜伝染病予防法が「農水省の法律」で、実務は都道府県が担うという二層構造にある。さらに、法務省の入国管理と厚生労働省の防疫(人)、財務省の税関(モノ)、農水省の防疫(植物や動物)が縦割りで、情報や危機意識を共有できない。ウイルスに国境や県境はない。伝染病の予防・対策は国が一元的に対応するべきだ。東京五輪を控えて、リスクはますます高くなる。人やモノの出入国管理の態勢を見直す好機としたい。
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