《クローズ・アップ》田中正明(産業革新投資機構社長)
報酬増が目当ての「投資の素人」
2018年12月号
頭脳明晰、長身で白髪、堂々たる体躯で、三菱UFJフィナンシャル・グループ時代には「辣腕バンカー」で通っていた。が、一方では好感をもってその人物評を語る向きは稀有。「人望乏しき自信家」というネガティブイメージが定着している。
滋賀県の名門進学校、膳所高校から東京大学法学部へと進学し、三菱銀行に入行。早くから将来を嘱望され、人事、企画のエリートコースを上り詰めた。当時、部下たちはその絶大な上昇志向の下での過酷な扱いに悲鳴を上げ、「石の上にも三年、田中の下に五年」という恐怖の言葉で語り合った。
企画部幹部の時代に、大蔵省接待事件、いわゆる「MOF担事件」に直面し、自身も特捜部に幾度となく呼ばれ、そのさなかに直属の部下だった大蔵省担当者たちはいち早く左遷。検察官の口からは、その協力的な態度が他行関係者に告げられたという逸話も残る。
米国銀行子会社のCEO時代には、破格の高価格増資を敢行し、ストックオプション保有の米国人幹部たちにオプション行使の絶好の機会を提供して喜ばせ、経営を完全に掌握。また、リーマン・ショック後のモルガン・スタンレーへの巨額出資でも手腕・・・
滋賀県の名門進学校、膳所高校から東京大学法学部へと進学し、三菱銀行に入行。早くから将来を嘱望され、人事、企画のエリートコースを上り詰めた。当時、部下たちはその絶大な上昇志向の下での過酷な扱いに悲鳴を上げ、「石の上にも三年、田中の下に五年」という恐怖の言葉で語り合った。
企画部幹部の時代に、大蔵省接待事件、いわゆる「MOF担事件」に直面し、自身も特捜部に幾度となく呼ばれ、そのさなかに直属の部下だった大蔵省担当者たちはいち早く左遷。検察官の口からは、その協力的な態度が他行関係者に告げられたという逸話も残る。
米国銀行子会社のCEO時代には、破格の高価格増資を敢行し、ストックオプション保有の米国人幹部たちにオプション行使の絶好の機会を提供して喜ばせ、経営を完全に掌握。また、リーマン・ショック後のモルガン・スタンレーへの巨額出資でも手腕・・・