美の艶話 第34話
白い花の悲嘆
齊藤 貴子
2018年10月号
J・A・Mホイッスラー作《白のシンフォニー第2番:リトル・ホワイト・ガール》
なぜだかよくわからないけれど、あなたが苦しんでいるのを見たくない。
こんな風に思うようになったら、色々な事を覚悟したほうがいいのだろう。自己の幸福を追求するばかりの、ただの恋のレベルはすでに超えていて、見返りを求めぬ愛の懊悩に翻弄され始めている証拠だ。
実際、恋愛を単なる思い出作りと割り切り、その場限りのゲームとして享受できなければ、喜びよりは悲しみが、楽しさよりは苦しみが増してゆく。自分のことさえままならないのに、自分以外の誰かの人生に深く関わろうとすれば、誤解や言い争い、すれ違いばかりが増えてゆき、とめどない物思いに囚われる。
それでも、愛することをやめようとしない者の憂いと陰りを可視化したのが本作。十九世紀後半のロンドンで活躍した画家、J・A・M・ホイッスラーの《白のシンフォニー第二番、リトル・ホワイト・ガール》である。
雰囲気のある女、とは正にこのこと。画面の上部で、額から鼻、そして顎へ・・・
なぜだかよくわからないけれど、あなたが苦しんでいるのを見たくない。
こんな風に思うようになったら、色々な事を覚悟したほうがいいのだろう。自己の幸福を追求するばかりの、ただの恋のレベルはすでに超えていて、見返りを求めぬ愛の懊悩に翻弄され始めている証拠だ。
実際、恋愛を単なる思い出作りと割り切り、その場限りのゲームとして享受できなければ、喜びよりは悲しみが、楽しさよりは苦しみが増してゆく。自分のことさえままならないのに、自分以外の誰かの人生に深く関わろうとすれば、誤解や言い争い、すれ違いばかりが増えてゆき、とめどない物思いに囚われる。
それでも、愛することをやめようとしない者の憂いと陰りを可視化したのが本作。十九世紀後半のロンドンで活躍した画家、J・A・M・ホイッスラーの《白のシンフォニー第二番、リトル・ホワイト・ガール》である。
雰囲気のある女、とは正にこのこと。画面の上部で、額から鼻、そして顎へ・・・