三万人のための情報誌 選択出版

書店では手に入らない、月刊総合情報誌会員だけが読める月間総合情報誌

連載

現代史の言霊 第6話

十月の和解 1971年(西ドイツの東方外交)
伊熊 幹雄

2018年10月号

《ブラントなくして、ゴルバチョフなし》
ワレンティン・ファーリン(元駐西独ソ連大使)

 永遠の瞬間は、突飛な衝動から生まれる。
 西ドイツのヴィリー・ブラント首相は一九七〇年十二月七日、訪問先ワルシャワの中心部にあるユダヤ人ゲットー蜂起犠牲者の慰霊碑前で、無言のまま跪いた。西ドイツが共産圏諸国と和解した「東方外交」の最も象徴的場面だ。
「何かはする必要があったからね」と、ブラントは帰国後、ルート夫人に説明した。「自然と出てしまった」と肩をすくめた。
 ブラントはこの訪問で、「オーデル=ナイセ線」をドイツとポーランドの国境であることを承認する、「ワルシャワ条約」調印にこぎつけた。この四カ月前の七〇年八月には、モスクワで同様の「モスクワ条約」に調印した。一九四九年の建国から二十年も停滞していた、西ドイツとソ連・東欧共産圏との和解を、ブラントは首相就任から一年余りで成し遂げた。
「本丸」モスクワへのメッセージ
 ワルシャワ訪問から少し時計を巻き戻そう。
 六九年九月の・・・