本に遇う 第221話
記者をなぜ殺したのか
河谷 史夫
2018年6月号
一九八七年一月二十四日午後八時過ぎ、東京・築地の朝日新聞東京本社の人工庭園の植え込みにうずくまっていた男が、二階広告局の明るい窓に向けて散弾銃の引き金を二回引いた。「パシャッ」という音に、社員が「おや?」とテラスに出た。周囲をうかがうが何事もない。男は姿を消した。
「われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である。一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である」とワープロで打った犯行声明文を、男は共同通信社と時事通信社宛てに投函した。「日本民族独立義勇軍 別動/赤報隊 一同」と記されていた。
これが赤報隊事件の始まりである。しかし新聞もテレビも報じなかった。二日後に時事通信に届いた手紙で警察が調べたが何も発見できず、共同通信では手紙は捨てられたらしい。報道がなければ事件はない。男は苛立ち、再度の銃撃が必須だと考えたに違いない。
同年五月三日、憲法記念日。兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局。午後八時十五分ごろ、二階の編集室のソファで休日出番の記者三人がくつろいでいた。そこに音もなく、目出し帽の男が入ってきた。物も言わず、犬・・・
「われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である。一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である」とワープロで打った犯行声明文を、男は共同通信社と時事通信社宛てに投函した。「日本民族独立義勇軍 別動/赤報隊 一同」と記されていた。
これが赤報隊事件の始まりである。しかし新聞もテレビも報じなかった。二日後に時事通信に届いた手紙で警察が調べたが何も発見できず、共同通信では手紙は捨てられたらしい。報道がなければ事件はない。男は苛立ち、再度の銃撃が必須だと考えたに違いない。
同年五月三日、憲法記念日。兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局。午後八時十五分ごろ、二階の編集室のソファで休日出番の記者三人がくつろいでいた。そこに音もなく、目出し帽の男が入ってきた。物も言わず、犬・・・