「天才物理学者ホーキング」の実像
学術的価値と意外な人柄
2018年4月号
「私はこの四十九年間、死と隣り合わせで生きてきたんだ。死を恐れてはいない。しかし、死に急いでもいないよ」
三月十四日に七十六歳で亡くなったスティーブン・ホーキング博士が、二〇一一年に英紙ガーディアンのインタビューで語っていた言葉だ。オックスフォード大学在学中の二十一歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、余命二年と宣告されてから半世紀以上、病気とつき合ってきた博士ゆえの言葉だろう。
死去の第一報を伝えた新聞はイブニング・スタンダード紙だった。トップから断続的に二十八面にわたってホーキングの記事で紙面を埋め尽くした。その後の他紙も同様に「巨星墜つ」という扱いで紙面を構成し、BBCを筆頭にテレビでも特集が組まれた。
日本の新聞も、訃報に続けて社会面などでこれまでの業績を振り返る特集記事を組み、テレビでもニュースが流された。
日本人の多くは彼について「車椅子に乗った偉大な科学者」という認識を持っているだろうが、ホーキングは本当に偉大だったのだろうか。
難病によって肥大化したイメージ・・・
三月十四日に七十六歳で亡くなったスティーブン・ホーキング博士が、二〇一一年に英紙ガーディアンのインタビューで語っていた言葉だ。オックスフォード大学在学中の二十一歳の時に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、余命二年と宣告されてから半世紀以上、病気とつき合ってきた博士ゆえの言葉だろう。
死去の第一報を伝えた新聞はイブニング・スタンダード紙だった。トップから断続的に二十八面にわたってホーキングの記事で紙面を埋め尽くした。その後の他紙も同様に「巨星墜つ」という扱いで紙面を構成し、BBCを筆頭にテレビでも特集が組まれた。
日本の新聞も、訃報に続けて社会面などでこれまでの業績を振り返る特集記事を組み、テレビでもニュースが流された。
日本人の多くは彼について「車椅子に乗った偉大な科学者」という認識を持っているだろうが、ホーキングは本当に偉大だったのだろうか。
難病によって肥大化したイメージ・・・