皇室の風111
婚約取材の煉獄Ⅴ
岩井克己
2017年11月号
秋篠宮家の長女眞子内親王の婚約内定を聞いて、平成十六年秋の紀宮清子内親王(現黒田清子)の婚約取材で皇室との「交渉」に費やした二十五日間の煉獄の日々の記憶が蘇った。
思えば、そんな「交渉」に踏み切った根底には、平成元年、父の礼宮(現秋篠宮)の婚約取材で、ひとつ間違えば記者生命にかかわる薄氷を若気の至りで踏んだ反省が沈殿していた。
礼宮を主語にした独自記事を初めて書いたのは昭和六十二年、彼が口ヒゲを生やし始めた時だ。「これがニュースかね」とデスクは苦笑したが、社会面に載せてくれた。
晩年の昭和天皇に仕えた卜部亮吾侍従の日記の昭和六十年十二月二十三日にこんな記述がある。
「礼宮さんのヒゲ願望につき長官に相談 否定的」
礼宮が葉山御用邸近くの海岸を散策中の両親に恋人の川嶋紀子を引き合わせたのは、この三日後だった。そして、長官マターにまでなり、却下されていたヒゲを礼宮は二年後に生やしてしまった。婚約を「まだ若すぎる」と抑え込まれていた時期に重なる。「ヒゲ」はやはりニュースだったのだ。
平成元年は皇室記者にとって最も多忙な年だ・・・
思えば、そんな「交渉」に踏み切った根底には、平成元年、父の礼宮(現秋篠宮)の婚約取材で、ひとつ間違えば記者生命にかかわる薄氷を若気の至りで踏んだ反省が沈殿していた。
礼宮を主語にした独自記事を初めて書いたのは昭和六十二年、彼が口ヒゲを生やし始めた時だ。「これがニュースかね」とデスクは苦笑したが、社会面に載せてくれた。
晩年の昭和天皇に仕えた卜部亮吾侍従の日記の昭和六十年十二月二十三日にこんな記述がある。
「礼宮さんのヒゲ願望につき長官に相談 否定的」
礼宮が葉山御用邸近くの海岸を散策中の両親に恋人の川嶋紀子を引き合わせたのは、この三日後だった。そして、長官マターにまでなり、却下されていたヒゲを礼宮は二年後に生やしてしまった。婚約を「まだ若すぎる」と抑え込まれていた時期に重なる。「ヒゲ」はやはりニュースだったのだ。
平成元年は皇室記者にとって最も多忙な年だ・・・