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社会・文化

生誕百年「バーンスタイン」という異能

賛否両論《ミサ曲》の葛藤とタブー

2017年8月号

 レナード・バーンスタインという音楽家がいた。日本人がクラシック音楽を最も愛した戦後復興期から高度成長時代に、全国のステージやレコードで大きなインパクトを与える名演を披露し、一九九〇年十月に世を去った巨匠指揮者である。音楽のパワーや喜びが人の姿をとったカリスマは、最晩年は体調不良を押し札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)設立に尽力。が、力尽き、東京公演は直前にキャンセル、後に大阪フィル音楽監督となる無名の弟子・大植英次の代演が急遽発表され、会場は騒然となった。緊急帰国し数カ月後に引退宣言、そして、わずか数日後の訃報。
 四半世紀が経ち、バーンスタインは過去の人となった。いかな多くの録音や映像が遺ろうが、指揮台にバーンスタインはいない。
 だが、二〇一八年に百歳の誕生日を迎える今も、そのマルチな才能は生きている。例えば、バーンスタインの作曲家としての代表作で、二十世紀ブロードウェイ・ミュージカルを代表する《ウエスト・サイド・ストーリー》だ。七月に東京・渋谷でほぼ一カ月の「バーンスタイン生誕百年記念ワールドツアー」が行われた。日本の劇団四季も上演を・・・